TOPTalk : 対談

7・8月は、画家・ギャラリーオーナーの大山一行さんが登場!

今号はゴヤの名画「エル・エンペシナード」を日本で発見した半生に迫り、
次号では、宮島永太良との対談を掲載します。お楽しみに♪

◇大山一行(おおやまいっこう)さん プロフィール

 
大山一行 さん
鹿児島県肝付町出身。1954年8月1日生まれ、獅子座。
京都市立芸術大学卒業。
子どもの頃から絵を見るのが好きで中学時代から絵筆を握る。
高校一年生までパイロット、画家、どちらを選ぶか迷うが、
宮崎航空大学校で空を飛ぶことが体に合わないことを知り、
表現の世界へ。
一浪後、京都芸大に入学、学部・専攻科合わせて7年間在籍。
在学中は10回の個展を開催。それが縁で知り合った実業家に才能を認められ画家としての活動開始。 以来、新たな美術界の一翼を担う。
現在、画家・京都/上海「同時代ギャラリー」オーナーとして活躍中。
 

◎大山一行さんとの対談 Q&A

京都「同時代ギャラリー」ビル全景

Q:大学時代に絵で経済的に自立していたそうですが?
A:積極的に個展を開いたことで、私を気に入ってくれる実業家の方と出会い、その方が建築関係の仕事もしていたので、新しい建物ができると絵を購入してくれました。 しかし、私が好きな絵を描き、それを買っていただいたのではなく、計画・設計段階からミーティングに参加。毎回、建築物のイメージに沿ったオリジナル作品を制作。 卒業時には注文がたくさん来るようになり、家を建てる経済力もありました。

Q:絵の世界ではあまり聞かない話ですが…
A:本来、私の作品は抽象画、だから個展で売れたのは僅か4点。 また、年功序列の団体に所属するのも合わないし、作品制作に関しても誰からも干渉されたくない性分。 そんなことを諸々考え、ある時自分の創作活動にはスポンサーが必要だと気付きました。 とは言え、それを他に求めても実現不可能。だから、自分で自分のスポンサーになることに決めました。 その志が仕事を呼び込んだのかもしれません。

Q:では、大学卒業を機に画家として本格的な活動を?

同時代ギャラリー内部

A:違います。実は26歳で卒業したのですが、同時に結婚と就職をしました。
Q:何故?

A:21歳の時に大失恋をして傷つき、結婚をすればもう失恋もない、それで決めました。ただ、妻の父から結婚の条件が…
Q:条件?

A:定期収入があること、つまり就職です。それで、結婚の承諾を得るために式を終えたら、すぐに辞めるつもりで就職しました。
Q:どうなりました?

A:就職先は、妻の出身である福井にアトリエ兼自宅を建てた関係上、地域の代表産業である眼鏡総合商社へ。 研修を終え、普通に一ヶ月だけ働き、最初のお給料を貰う前に辞めようとしたのですが、駄目でした。 その後も色々あって4年間は週に一度出社し、年に数回は絵の大きな注文があったので、自宅アトリエでは絵筆を握っていました。
Q:仕事の内容は?

A:眼鏡のカラーデザインで海外出張もあり、今よりはるかに多忙な日々でした。
Q:順調そうなのに、何故、京都に移ったのですか?

A:
上の子が小学校に入る年、その地域では小学校から制服があるのがわかり、それを私が嫌い88年に引っ越しました。
Q:88年と言えばバブルの頃!

A:バブルも要因でした。当時、日本の国公立の美術館がこぞって絵画を購入し始めた頃で専門家から見ると怪しい作品もあり、価値基準も定かではなく対象作品も印象派に偏っていました。 学芸員の資格を有している私は、その状況を見過ごすことができなかった。加えて好きなスペイン美術を知って貰いたかった。そのために89年に京都で会社設立、バルセロナにも事務所をオープン。 92年には『初版によるゴヤ4大連作版画展(日経新聞社主催、東京、大阪)』の企画・プロデュースを行いました。

エル・エンペシナード
 ▲ゴヤ作 エル・エンペシナード

Q:「ゴヤ」と言えば、日本で名画を発見したそうですが!
A:版画展の数年後『ゴヤの作品らしいけれど、見て欲しい』と、連絡があり、その絵と出会いました。
Q:どんな絵でしたか?

A:スペインでは教科書に載るほど有名な歴史上の人物で、ナポレオン軍と戦ったゲリラの英雄『エル・エンペシナード(頑固者)』を描いた肖像画でした。
Q:第一印象は?

A:所有者が1970年代頃にアメリカで購入。海外のある研究者から真作ではないと言われ、自信をなくしていました。 しかし、ゴヤ好きで多くの作品を見て来た私には、真作だと直観できましたが、それでは証明になりません。
Q:それで?

A:結局、実務的に動くのが最善と考え、プラド美術館の調査研究室に鑑定依頼。私はスペインで独自調査を始め、100年前にマドリッドにあった証拠写真を発見。 調査研究室の科学的実証と共に本物であることの裏付けを得ました。
Q:その後のエル・エンペシナードは?

A:1996〜97年にかけてゴヤの生誕250年祭がスペイン全土で行われた時、100年ぶりに私が持参して里帰り。 国立美術館で展覧会が開催され、スペインの方々に喜んでいただくことができました。

Q:貴重な体験談をありがとうございました。次は、同時代ギャラリーについて教えてください。オープンは?

同時代ギャラリー入り口

A:1996年、当時の毎日新聞社京都支局の1Fを借りてオープン。こけら落としはゴヤの版画展でしたが、同年年末に歴史的建造物であるこのビルが諸事情で風前の灯に。 でも、その難局も乗り切り、知り合いの建築家にオーナーになってもらいました。
Q:現在のスタイルになったのは?

A:オーナーチェンジした97年、『アートの発信拠点』として動くことに決めました。

Q:アートの発信拠点?
A:美術だけでなく、音楽、演劇等、京都の現代文化の新たな情報発信の拠点として現在に至っています。

海外で紹介されたカフェ
 ▲海外で紹介されたカフェ

Q:ビルの構成を教えてください?
A:私が直接経営に携わっているのは、ギャラリースペース2ヶ所と実験ショップ2つがある1Fと、定期的に音楽ライブも行い、アメリカやヨーロッパのアーチストからも注目されるBFのカフェ。 3Fには劇場があり、今ではビルを移りましたが、2003年には日本初NPOによるコミュニティFM放送局も誕生。現在も月一でビル全体のミーティングを行い、意思の疎通を図っています。

大山一行さんと

Q:ギャラリー運営についてお聞かせください!
A:オープンからの基本方針は、特定の美術ファンだけでなく普通の人たちが気軽に足を運べるギャラリーを目指しました。 そのために誰もが気楽に立ち寄れる短期の実験ショップを併設、ショッピング感覚でギャラリーへ…、当時流行っていたルーズソックスの女子高生が手をつないで入って来るのが望みでした。

Q:それは実現したようですね。展示作品に関しては?
A:やはり、若いアーチストの発表をベースに考えています。この空間で彼らの息吹が観客にストレートに伝わり、時代のエッセンスとして同時代の人たちに作品を楽しんでいただければ言うことはありません。

Q:それで『同時代ギャラリー』?
A:そうです♪

関幸貴

次号、対談編へ続く... 



インタビューアー関幸貴

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