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☆ 名言迷路 卍 迷言名路 ☆      宮島永太良

このページでは、私が今までに聞いて興味をもったワンフレーズを紹介し、
それを考察しようというものです。
史上言い継がれてきた諺、偉人の言葉から、
著者の周り近所の人が発した言葉まで様々ですが、どれもこの世の中に暮らす人にとって、
何らかのヒントになるのではないかというものを挙げています。

〇 自分のための勉強

 この言葉は、私が高校生の時、学校で一番好きだった先生から聞いた言葉である。  私はこの言葉を聞いた時、初めて「ああ、そうだったんだ!」と自覚したものだ。  先生がこの言葉を言ったのはたった一回であったが。

黄昏

 私が通っていた高校には、他の学校ではあまり聞かない「自由研究」という時間が週に一回あった。  全学年が同じ授業メニューの中から選択でき、カリキュラムなども自分で決めて進めていくという、当時では珍しい授業だったと思う。  私は、その先生が好きというだけで、先生(以後T先生と呼ぶ)担当の「考古学」を、何の知識もなしに選択した。  それはとても無謀なことであったが、いざ授業が始まると、私以上に無謀な選択をしている生徒が多いことに気づく。  どこかで「わりと楽な自由研究授業だ」と噂がたったのだろう。  T先生も、考古学の専門的な知識などは要求していなかった。  はじめての生徒でもわりとゆったり学ばせてくれたものだ。  しかし限度というものがある。  私以上に無謀な選択をした生徒の大半は、本など読んでいるふりをしながら、適当にふざけたり喋ったりしていた。  見るに見かねた先生は「お前たちは何のために勉強をしているんだ?  自分のためだろ」と叱った。

 私はこの時叱られた一人ではなかったが、叱られた生徒たち以上に「そうだったんだな」と感じてしまった。  それまで勉強といえば「試験で良い点を取るため」とか、あるいは「しないと先生や親に怒られるから」といった消極的なものであったことにあらためて気づいた。

 勉強する必要、これをきわめて大まかに言ってしまえば、将来(どんな年齢からみても)自分や大事な人が何かに突き当たった時、それを難なく乗り越えられる判断力、応用力を身に着けておくこと、と言えるのではないだろうか。  それは、すごく広い範囲に及ぶのは間違いない。 「外国語」「理科」「社会」「数学」etc に限られるものでもない。

 勉強というのは一生続くものなのである。

 学校時代はいやいや勉強していたが、大人になると本を読むことや何かを覚えることが楽しくて仕方ない、という人が少なからずいる。  それは、年齢と共に、何かに突き当たった経験の数から来る気持ちだろう。 また一度乗り越えてしまうと、それは案外楽しいことだったりもする。

 もう一つ、身を退化させない、というのも、勉強をすることの大きな理由であろう。

フェンス

 ある小中学生の子供を持つお父さんが言っていた。 うちの子供たちは、毎日意気揚々として「今日も学ぶぞ!遊ぶぞ!」という姿勢で学校に行っているわけではない。  どちらかといえば「今日もたるいなあ」みたいな感じで過ごしている。  しかし、彼らは成長期なので明らかに育っているのだ、と。

 逆に考えれば、そのお父さんも含めた大人は、ちょっとでも「たるい」などと思ったら、衰退を余技なくされるということだ。  そうならないためにやるのが勉強であり、絶えず勉強している人は、「人生に疲れる」という姿とは程遠くなっている。

 かつて、奈良の某有名寺院のトップを務めていた僧侶が、90歳を超えた時に語った言葉で「自分はまだまだ勉強中」というのがあった。  既に故人となった氏であるが、この言葉を知った時「勉強は一生したからといって、決して終わることはない」そんな宇宙にも通じる無限の力を感じてしまったものだ。

宮島永太良

(撮影:関 幸貴) 
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