☆ 名言迷路 卍 迷言名路 ☆ 宮島永太良
このページでは、私が今までに聞いて興味をもったワンフレーズを紹介し、
それを考察しようというものです。
史上言い継がれてきた諺、偉人の言葉から、
著者の周り近所の人が発した言葉まで様々ですが、どれもこの世の中に暮らす人にとって、
何らかのヒントになるのではないかというものを挙げています。
〇 上善は水の如し
これは私の大学時代の親しい友人が教えてくれた言葉。 老子が残した言葉で、その友人は座右の銘にしているということだった。 この言葉だけ聞くと、酒でも飲みたくなってしまうかもしれないが、 実はこれは「最善のことは水のようであることだ」という意味である。 自分自身を主張することなく、高い所から低い所へ自然に流れていく。 このようなあり方こそが平穏な暮らしを送ることができ、他の人とも調和できるというものだ。
似た言葉に 「水は方円の器に従う」という言葉もあった。 水は方形の容器に入ろうとも円形の容器に入ろうとも、どんな形にも合わせられる、ということだ。 これも、水の臨機応変さを言っているが、やはりその時々の状況に応じて自身を変化させられる、そういう寛大さを人間も持ちなさいということだろう。 そのような『人間の模範(?)』と、される水そのものが、こうした習性を持っているだけで偉大だと感じる。 日常的に考えれば、どんなものも綺麗にしてくれるし、 喉が渇いた時も体を潤してくれる。 そもそも人間は(生物は)水がなくては生きられないし、私たちの身体もその約60%が水だという。
地球で一番の命の恵み。 そんな偉大な存在でありながら、自分を強く見せない。 理想の超人のあり方に近いといえるだろう。 しかし、水は偉大なだけに気をつけて接しないといけない。 時には、昨年起こった地震の時の津波のように、恐ろしい存在となって我々に迫ってくることもある。 海や川でレジャーをしていた人が、水に飲まれて死亡した事件も、数え切れないほど聞いている。
無ければ人間も生物も生きていけないが、畏怖を持って接しないと恐ろしい惨事を招く水。 水の存在を神とオーバーラップさせるのは、無理があることだろうか。 しかし近年、そんな水が地球全体から不足しているという話を聞いて久しい。 地球温暖化によることはいうまでもないが、そんな中でも、ヒマラヤ・チベットの氷河の減衰は、黄河、揚子江、ガンジス川、インダス川などの源流になっているだけあり、多くの人に影響を及ぼすという。 水が極端に減ってしまった生活は、考えただけで怖い。 私などは、家のベランダにタンクを置いて、雨水でも貯めようかとも考えたが、その効力を確認できず、未だ実現できずにいる。 しかしながら、この世の水が全てなくなるなどということはあるはずもなく、そこには人間の工夫が必要とされるだろう。
私たちは日々の生活の中でよく水を使うが、その目的は「飲む」「洗う」「トイレを流す」など目的は多岐にわたっている。 現在の日本ではそれらの水の「綺麗さ」がほぼ同じレベルであるのが現状だ。 水道の蛇口から出る水は、掃除に使うかもしれないが、飲めないものでもないだろう。 多くの水を一定レベルに上げてしまっていることも、水の無駄遣いにつながっているのだという意見もある。 飲料用の水と、それ以外の生活水のレベルにもっと差をつけていいのではとの考え方も出ているようだ。
そんな中で、あらたに飲料用の水を作り出そうという技術もある。 海水の「淡水化」というものだ。 海の水には3.5%ほどの塩分が含まれ、そのままでは飲料用とならないため、蒸留や加圧などの方法で、淡水(塩分0.05%以下の水)=飲料用水に変える技術である。 こうした人間の工夫が、限りある自然の中の水を、いかに効率よく使うかを左右させることになる。 加えて、水そのものが資源になってくれるという頼もしい技術も研究されている。 「海水温度差発電」というものであるが、簡単にいえば、日光で温まった海面の水と、冷たい海底の水とを、タービンで回してその温度差で発電するというものである。 しかもこの方法は電力を産み出すだけでなく、上記の海水の淡水化、そして深層水の汲み上げによる、海産食料の新たな捕獲にもつながるという。 こうした研究の成果が一般化されれば、自然の恵みの新たな可能性を見ることができそうだ。
人間が、水を神の恵みと認識して使うなら、それは「上善のもの」に戻って、私たちを再び救ってくれるかもしれない。
宮島永太良