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Friendsには、ジャンルを問わず宮島永太良の友人知人が登場!
毎回、親しい視線と言葉で宮島の実像に迫ります。


◎ 舞踏家・ダンサーの相良ゆみ さん登場!

相良ゆみ さん
 

◎相良ゆみ(さがらゆみ)さんプロフィール

相良ゆみ さんspace
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舞踏家・ダンサー 東京都調布市出身。
1970年8月13日生まれ、獅子座、A型、4人兄弟の末っ子。
幼少よりバレーを習う。  関東学院大学文学部卒業。
1988年よりニューヨークを拠点として活躍する
Eiko and Koma*に影響を受け身体表現の模索を始め、
大野一雄、大野慶人舞踏研究所で舞踏を学ぶ。
“個人的体験”と“人間の普遍性”をテーマに
劇場で作品を発表する一方で、美術館、ギャラリー、ライブハウス等で
インプロ(即興)活動を展開、最近は演出も手がける。
Eiko and Koma*:アメリカで活躍する有名な日本人舞踏家、ダンサー。
現在も相良さんとは家族ぐるみのお付き合い。

 

相良ゆみ さんへのインタビュー Q&A

 

編集部(以後 Q):踊りは何時から?
相良ゆみ さん(以後 A):調布で生活をしていた頃、祖父が牧師だったので毎日曜日に小さな教会へ通いました。  聖書のお話は眠くなるけれど、教会で色々な行事があると、私は自然の流れでコーラスに加わり、聖書劇など演じ、オルガンや聖歌のコンサートを聴いて育ちました。  だから、クラッシック音楽はとても好き。  バッハの音楽やルネッサンスの絵も親しみがあり、今もそのイメージで創作をします。  気付けば、踊る以前から舞台には慣れていました(笑)。

Q:何故、音楽や演劇ではなく踊りの道を選んだのですか?
A:今も週一ペースで続けているクラッシックバレエも習っていて、当時から、静かに座っているよりも体を動かしているのが好きな体育会系でした。  踊りの道に入った動機も、それに尽きます。  ただ、中学時代はバレーボール部に属していたので踊りは中断、高校進学と同時に再開しました。

Q:踊りに本格的に入り込むのは?
A:18歳でEiko and Komaを知り、学生時代から彼らの美術作りのヘルプをし、踊りが生活の中でよりウェートを占める様になったのは、大学卒業後です。

Q:卒業後、何が?
A:踊りのために卒業後の約6年間、日本とニューヨークを行ったり来たりの生活をしました。

Q:どの様な生活?
A:初等教員の免許があったので、大学卒業後、踊り続けられる環境として、Eiko and Komaの家の近所で大磯にあるミッション系幼稚園を紹介され、勤めました。  それで、幼稚園のお休み、春休み、夏休み、冬休みなどの約5ヶ月を使い、その度にニューヨークへ渡り、レッスンしながら、ベビーシッターをしていました。  考えれば、日米どちらも踊りと子どもに囲まれた生活でした。

相良ゆみ さん
相良ゆみ さん

Q:影響を受けたEiko and Komaとは?
A:Eiko and Komaは、体を白塗りにして舞踏寄りのモダンダンスをし、欧米では有名です。  また、ニューヨークには素晴らしい踊り手がたくさんいますが、その中で彼らは、『荒城の月』や『演歌』で創作、着物を着て日本文化を前面に押し出した身体表現をしています。  私も長くクラッシックバレエをしていますが、結局は西洋のモノで、東洋人では、敵わないと言う思いがあります。  また、大学で国文学を学んでいたので、日本文化を活かした自作品を創作できればと考えていました。  それで私も触発されました。  そして、新たな…

Q:新たな何が?
A:出会いです。  私が25〜26歳、1997年か98年の寒い冬でした。  日本がとても恋しくなった頃、Eiko and Komaがプロデュースに関わり、ニューヨークのジャパン・ソサエティで行われた大野一雄さんの公演を見る機会に恵まれました。  あの舞踏は私にとっては衝撃的な出来事。  感動して、寒さも望郷感も忘れました。  加えて、決めかねていた方向性が分かりました。  でも、面白いですね。  アメリカで公演を見て、その道を進んだのですから。  もしあの時、日本にいたら出会いはなかった。  そう考えると、本当に幸運でした。

Q:公演内容は覚えていますか?
A:言葉にするのは難しい。  ただ、コスチュームは日本的ではなかったけれど、舞踏内容は、白塗りをした日本のお祖父さんが、揺らめきながら、自分の身体の内側からの表現をしていて、大輪の華のようでした。  それが魂の踊りのように強く感じられ、ました。  あの時、大野先生は確か90歳を越えていたはずです。  肉体の奇跡を観た思いでした。  それを機に、私は横浜の上星川にある大野舞踏研究所に通い始めました。  大野一雄先生は、2010年に103歳で逝かれ、息子さんの代になりましたが、現在も2週か10日に一度のペースで通っています。

Q:ソロで踊り始めたのは何時頃?
A:30歳ぐらいになった頃でした。  東京に拠点を移して、大野研究所の友だちと組んだ公演やソロ活動を始めました。

Q:年間の公演数は?
A:40回ぐらい、多い方だと思います。  体力的にも、舞踏は能など日本の古典がベース、それに私はクラッシックバレエをミックスして展開して行くので静と動の組み合せになり、かなり大変です。

Q:相良さんの踊りを分類すると?
A:難しいですが、コンテンポラリーとも、舞踏とも言われています。  だから、作品によって、『ダンス』と『舞踏』に分けています。

Q:踊りで手応えを感じる時は?
A:自分にすごく集中し、観客の集中具合も感じつつ、作り上げて行く感覚になる事があります。  その時かな。  それが舞台の魅力で、あのライブ感は何とも言えません。  至福です。  あと踊っていると、何故か自然に体が軽くなる時があります。  扱っているのが自分の体ですから、我を忘れて楽しくなります(笑)。

相良ゆみ さん

Q:踊りで難しいことは?
A:自分は天然系なのであまりありませんが、最近、振り付けや演出をしているので、人に思いを伝える事の難しさは感じています。

Q:演出は何時から?
A:2011年の6月からで40歳になる頃です。

Q:何故、演出?
A:10年毎の区切りです。  これもEiko and Komaの影響かもしれませんが、私、割と人生プランを考えていまして。  それで、40代は社会に視野を広げました。  また、『踊りは、50代からスタートラインだよ』と、言われているので、それを見据えてもいます。  当然、その年代になれば、体力はガクッと落ちますが、表現の幅が広がると…、世阿弥の『風姿花伝』にも書かれているそうです。  年齢を重ねるのも楽しみですね。

Q:踊りと人生を常に考えているのですね。
A:はい、私も大野一雄先生の様に一生踊って行きたいですから…

今日はありがとうございました。 次号も、宜しくお願いいたします。

カラー写真 月森砂名さん撮影 ・ 白黒写真/文 関 幸貴
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