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Road : つれtakeロード

 

浜離宮で時間旅行…

今回の「つれtakeロード」は、東京・汐留の東京湾に隣する浜離宮恩賜庭園を訪ねた。江戸時代より海の景色を楽しむ庭園として造られた、歴史の深い場所である。

浜離宮

東京都内は近年再開発が目白押しで、あちこちビルばかりという印象があるが、思い起こせば緑あふれる場所もまだ相当ある。皇居はもちろん、代々木公園や世田谷公園、新宿御苑など。こう考えると、私たちは今も変わらず緑に囲まれていて安心した気持ちになれる。特に歴史を刻んだ場所となると、時間の推移も空間に入りこみ、より感慨深い体験を期待できる。今回の浜離宮恩賜庭園(以下 浜離宮)も、宮島永太良にとっては多くの想像を駆り立てられる場所の一つだという。

浜離宮

この地は1654年に甲府藩主の徳川綱重が、海を埋め立てて別邸を建てたことに始まる。その綱重の子が六代将軍「徳川家宣」となってからは、浜御殿の名で将軍家の別邸となった。明治維新後は宮内省管理となり、浜離宮と改称され、海外からの国賓を招く場所としても利用された。明治天皇も賜宴のためしばしば訪れたと言われる。

庭園内

門は二つあり、銀座・築地に近い「大手門」と、汐留・浜松町に近い「中の御門」とがある。今回は「中の御門」から入るコースを選んだ。一度門をくぐると、そこは都会の喧騒を忘れたいにしえの世界が広がっている、と思いきや、上空には近隣のビルの摩天楼の姿が浮かんでいる。しかしこのビルの風景、庭園の雰囲気を壊すものでは決してなく、かえって風景に広がりを与えている気さえする。静かな園内から望むビルの風景はより神秘的であり、このいにしえの面影を引く庭園と現代建築物とが、一つの風景として全く違和感なく溶け込んでいるのである。浜離宮からしたら、ビルの景色はモダンな借景と言えるだろうか。

近隣のビルの摩天楼

周りが海に囲まれているということもあり、どこからか潮の香りも感じるこの浜離宮。最大の特徴は「回遊式築山泉水庭」である。これは東京湾から海水を取り入れ、潮の満ち引きで景色の変化を楽しめるものだ。海沿い近くに位置する園内最大の池「潮入の池」は、入り口に重厚な水門を構え、この水門が干満にしたがって開閉し、池の水の出入りを調整しているのである。この方法は江戸時代からのものというのが驚かされる。

水門

またこの池を眺めるように四つのお茶屋が配されているのも、この庭園の大きな魅力だ。お茶屋は歴代の徳川将軍たちが、賓客とともに景色を楽しみながら、食事や調度品の鑑賞を楽しむ場所として造営された。現在この庭園内にある茶屋は四つ。池に突き出た母屋と、緑の屋根が印象的な「中島の御茶屋」、神社の社を連想させる「鷹の御茶屋」、白壁の美しい「燕の御茶屋」、木造が渋く映える「松の御茶屋」。どれも昭和・平成時代に再建されたとは言え、歴史の重さを十分に伝えている。またこの他に「汐見の御茶屋」というのも、跡地だけが残っている。

中島の御茶屋

「潮入の池」は海の近くにありながら、海そのものを再現しているようなのがまた不思議である。宮島にとっては叶わぬ夢ではあるが、江戸時代当時の茶屋に入って、当時の景色がどのようなものだったのか、見てみたい心境になってくる。

江戸時代当時の茶屋

ここからほど近い「樋の口山」「新樋の口山」は、平地や池の多い園内では珍しく小高い丘となっている。ここからのレインボーブリッジの眺めは、現代の東京を高地から覗いているようで感慨深い。しかしながら、園内を見上げながら歩けば、四方八方ビルの景色が絶えない。「海の方も?」と思うかもしれないが、この周辺は埋め立て地がひしめき、海の上のはずの所にもビルはある。そんな中、ふと視線を低め、木々の間に目をやると、どこからともなく侍でも現れそうな気配も感じてくる。やはり江戸時代に満ちていた空気の名残りが、現在もかなり浮遊しているであろうことを物語っている。

樋の口山

木々も豊かである。現代では都内最大級の黒松と言われる「三百年の松」をはじめ、国内の公園でよく見るケヤキやクスの木等も生息している。特に宮島にとってクスの木は、昔から幸せを運んでくれそうなオーラを持っているという。

大手門

出口は銀座・築地方面へ向かう「大手門」。ここをしばらく歩くと、かつて築地市場の入り口だったあたりに出る。都会の現実に戻る瞬間。しかし何百年も前の東京=江戸を、今でも縮図のように残し続けている浜離宮は、今も都会に大きな安らぎの時空を与えているのようだ。

猫

(文・写真 宮島永太良)

 
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