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神奈川歯科大学資料館副館長 橋常男さんと宮島永太良が語った… 後編

橋常男(たかはしつねお)さんと宮島
 

橋常男(たかはしつねお)さんプロフィール

1949年 神奈川県に生まれる
1975年 神奈川歯科大学卒業 歯科医師
1979年 神奈川歯科大学大学院修了 博士(歯学)
2003年 神奈川歯科大学人体構造学講座
     肉眼解剖学・臨床解剖学分野教授
現在、神奈川歯科大学資料館副館長、Chihiro Enterprise(株)特別顧問、
和田精密歯(株)「歯・口“いのち”の源 健康資料館」館長(福島)などを務める。
著書:新歯科技工士教本「歯の解剖学」
  「ネッター頭顎部・口腔顎顔面の臨床解剖アトラス」(分担)
        共に医歯品薬出版株式会社刊

橋常男(たかはしつねお)さん

「神奈川歯科大学 人体標本と100年史 資料館 」 
当館は大学文化の象徴とシンボルとして2013年に開館。世界的解剖学者である横地千仭(よこちちひろ 現神奈川歯科大学名誉教授)先生が作製された人体標本を中心に、100年の軌跡を感じる趣きある9室で構成。100年の刻の重さと人体の神秘を通じ、深い感動を覚え、明日への生きる意欲・活力と健康志向に繋がる体験をしていただける施設。(参考:神奈川県の博物館紹介)
◇神奈川歯科大学資料館ホームページ
http://www.kdu.ac.jp/museum/index.html

「神奈川歯科大学 人体標本と100年史 資料館 」で考えたこと…


宮島永太良
(以後M):後半は、「神奈川歯科大学 人体標本と100年史資料館」からお話を伺いたいと思います。私は2度目の入館ですが、一般の方々は人体標本を観る機会はほとんどないので、初めて資料館を観るとかなり衝撃を受けると思います。ところで、献体された方々は何人ぐらいいらっしゃるのでしょうか?
橋常男さん(以後T):はい、献体されたご遺体の数という視点では、区別をしておきたいことがあります。歯学部に入学して最初に学ぶ医学系教科の一つが人体解剖学になるのですが、座学を1年間かけて学び、進級したものだけが、次ぎにご遺体を教材とした解剖実習があります。
臨床医に「あなたにとって恩師はだれですか」と尋ねると、「患者さんです」という答えが多いです。もっと原点に遡れば、「解剖実習で、人生で初めて、人のからだにメス(第一刀)を入れさせてくれたのはご遺体」です。その意味では、医療人になる過程のなかで、目の前のご遺体が、人体についての医学知識をいろいろ教えてくれる最初の「患者さん」といえます。ご遺体を教授として、まさに “生きた” 教科書として、ご遺体と対話をしながら、人体の構造を学ばせていただいおります。
解剖実習に供されるご遺体の数といえば、1964年に歯学部ができてからですので、2000体近くになっているでしょう。そして、この資料館における教育標本として供されているご遺体の数ということになりますが、展示されている標本の数が1つの目安になりますが、実際のところ、献体された方々の人数を正確にお伝えするのはとても難しいところがあります。あえて、お話しさせていただければと思いますが、私ども教育者サイドで最も大切にしていることは、ひとつひとつの標本は、単に“ひとの臓器”を展示しているという考えではなく、ひとのいのちが宿っていた、いのちが詰まっていたといえますでしょうか、“たましいの器”という考え方をしております。等身大の本物を観て、そこからいのちの尊厳に気付いてもらうことを第一義としております。
先ほど、標本館の入り口で立ち止まり、手を合わせて黙祷をしてから、入館をしていただきました。我々は”この世“でいま、”生きている立場”であり、身体を納めさせていただいている標本ケースのガラス越しに、亡くなられたひとの“あの世”というなら、私どもはガラス越しに、この世とあの世の境に立って、各種標本から、各位の人生経験にあわせて、何かを学びとらせていただくこころを一つにするため、そのような真摯な気持ちで見学してくださることを重要視しております。

神奈川歯科大学 人体標本と100年史資料館

M:献体する方はご自分の意思ですか? 
T:献体は、基本的にはご本人の生前のご意志が優先されます。そして、お亡くなりになったときは、あらためてご家族の承諾をいただき、最終的に献体が実現します。医学部も歯学部も、大学毎に献体のための相談窓口がありますが、私たちの大学では、神奈川歯科大学白菊会という組織に献体登録をされている会員のご遺体が、しかるべき時に解剖実習に供されるということになります。現在、実習に供されるご遺体は、99%以上が生前のご意思に基づいて行われています。
横地先生が解剖学教育・研究に取り組みされた時代は、わが国でご献体の数は十分とはいえなかった時代でした。特に、歯科医学の教育現場では、医学部とは状況が違って、ご献体が不足していましたので、引き取り手のないご遺体が発生したときにも、献体としてとり扱いに関する法的手続きをとった上で、最終的に教育・研究に供させいただくことも多々あったことをお聞きしております。

M:やはりご遺体だけにかなりデリケートになりますね。それから考えると、橋先生はお寺や警察との関わりも生じてくると思いますが?
T:はい、私どもにとりまして、ご遺体が教材であり、ほんの数年前には、この世で同胞であったご遺体を使わせていただく立場ですから、ご献体、ご遺族に対しては、教育機関の代表であります大学を挙げて、「供養と感謝」の念をあらわす行事があります。
そのような意味で、大学の菩提寺、お寺様ともお付き合いがあります。ひとつは献体成願されました御霊に対し、そしてご献体を承諾していただいたご遺族の皆さまに対して、感謝の意をあらわる機会で、「諸霊供養の会」と、もう一つは亡骸を引き取りされるご遺族がおられない場合は、菩提寺の納骨堂に永代供養をさせていただく機会で、「墓前祭」などがあります。

 
橋先生の解説に聴き入る宮島

M:お寺との具体的なエピソードがあればお願いします。
T:はい、私が大学人として、歯学教育・研究で、ご遺体とかかわらせていただいてきた経験は、すべて仏教的にも解釈ができるとのことです。私が退職して1年も過ぎて、セカンドライフの方向性も、少し見え始めたころですが、大学の菩提寺である常勝寺(横須賀市/佐原)や妙蔵寺(横須賀市/池上)ら、僧侶グループとご一緒する機会がありました。これまで、お坊様とお堂の外でお付き合いを考えたことはありませんでしたので、はたしてお話が咬み合うのか不安でいっぱいでしたが、雑談が尽きると、「学生教育」の苦労話とか、「いのちの始まりと終わり」とか、「ひとの生き様」とか、「宗教観」、そして「健康観」など、意見の交流をしながら、全くの異職種のお坊様らとの時間は、なにもかもが新鮮であり、時間の経過をすっかり忘れるほどでした。
このご縁がキカッケで、毎年、大塚山妙蔵寺(池上)で発行されております「妙蔵寺たより」で、私の思いつくまま、そのとき自ら体験しているホットな内容などについて、定期的に寄稿をさせていただいております。私は古稀を超えて、いまだ人生を突っ走っておりますなかで、しばし立ち止まって、原稿作りで汗かきをしている時間は、自分自身の “生” を感じとっている時間でもあり、とても有り難いことと思っております。
また、私、約半世紀にわたって、お世話になった三浦半島に対して、地域の皆さまに感謝の思いを、どこかで目に見える形であらわしたいという強い思いを持っておりました。私の人生経験の資質を活かして、未来を担う子ども達に向けて、なにか活動をしたいという考えにも、ご賛同やご助言を戴きました。
そして、三浦半島の自然環境保全活動家、僧侶、教員(大学、高校)ら、ここにいらっしゃいます宮島さんともお話をさせていただいておりますが、まったくの異職種の人たちが集まって、LiCaCLUB(呼称:リカクラブ)を立ち上げました。子ども達には理科的志向性を醸成する目的で、小学生低学年を対象に「手づくり顕微鏡による生き物の観察イベント(2019)」や、中学生低学年までを対象に「手づくり顕微鏡に加えて、さらに専門企業様にご協力を得て電子顕微鏡を用いて自分の目(肉眼)では見えない1万倍以上に拡大されて見えてくるミクロの世界を体験するイベント(2021)」などを企画しています。会場は神奈川歯科大学の施設を使用させていただいておりますので、活動を通じて、母校の宣伝を兼ねられればとも思っております。

M:警察との関係はどのようなことがあるんでしょうか?
T:警察との関係ですが、説明が必要になりますね。遺体といっても、解剖教育に供される遺体は、病死、老衰など、病院で亡くなられる、すなわち犯罪性のない、教育目的に供される遺体で、ご献体です。これとは別に、犯罪死の可能性のある死因が不明な遺体で、変死体があります。後者の遺体について、警察との関わりがあります。解剖学教育では、普通は、前者だけですので、後者まで取り組むことは、しかも歯学部で取り扱うことは、独創的なプロジェクトでした。
二つの遺体を繋ぐ ”魔法” となる画像撮影装置ですが、そのキーワードですが、私は、MRI(核磁気共鳴断層画像診断)装置にチャレンジするより、歯科で汎用性の高いCT(X線コンピュータ断層撮影)装置の導入を選択し、その活用法ですが、医学教育(画像を用いた新しい解剖教育の思索)と死因究明(死因の究明による安全な社会づくりにつながる活動)による社会貢献として、CT装置導入を目論みました。

 
橋先生の解説に聴き入る宮島

M:画期的なことですね。
T:私は歯学部出身ですので、死因が不明の遺体の身元の確認は、たとえば歯型などから身元の確認を鑑定することはできますが(神奈川歯科大学にはDNAによる親子鑑定、個人識別などでは、迷宮入り事件の解決に?がる多数の業績を挙げている講座があります)、死因の究明のための解剖は、医学部を卒業した法医学出身者でしか、行うことができません。すなわち、高価な装置の導入と賛同してくれる医師の発掘の両方を解決しなくてはならないプロジェクトでした。

M:2009年のCT導入は新展開ですね。
T:実は、2008年6月に、神奈川新聞の記者の取材を受け、私の夢構想をお話しました。忘れた頃、8月31日の朝刊第1面に「CT装置を使った死因究明は神奈川県初の試み」と記事紹介されました。装置はまだ導入されていません。当局にどのように交渉すべきか、プロジェクト賛同者を確保する途に就いたばかりでした。しかし、装置導入ができなかったらどうしようという不安より、もちろん、教授職の生命をかけた取り組みとしていましたので、私は後ずさりする選択肢は思い浮かびませんでした。幸いなことに次年度、大学予算に組み込まれて、導入が実現しました。私の首も?がることになりました。

M:それは日本初ですか?
T:その当時では、全国29校の歯学部の中で、解剖学研究室でCT装置を持つ大学は初めてです。肝心の死因究明の実際的活動までには、さらに長い経過がありました。

 
橋先生の解説に聴き入る宮島

M:CT導入によってどの様な変化が起きましたか?
T:ご遺体を一度火葬してしまうと、改めて人体についての情報確認はできません。しかし、CT撮影した画像データがあれば、解決済みとされていた事件の死因の再調査も可能となります。画像データは逐次増えていきますし、永久保存されていきますので、献体を用いた解剖学教育目的でも、死因究明目的でも蓄積されていくデータは、新しい発見に繋がること明白です。

M:視点を変えれば、犯罪防止にもなりますね。
T:はい。そう考えられます。病気でからだにメスを入れる手術を何度も経験されている人が亡くなられるとすると、術後の状態や新たな転移など一番新しい臓器の状態を確認するため、解剖の承諾をとるわけですが、ご遺族の心情からすれば、死者にまたメスを入れられることは、同意しがたいのはいうまでもありません。
また、虐待を受けて亡くなった子どもに対して、同じく死因の究明のための解剖の承諾を求める際に、虐待に関係した親御さんこそ、犯罪がばれるのを気にして、解剖を拒否することが多いと言われています。そのようなとき、メスを使わずして、また遺体をさらに傷つけることなく、装置による被爆も心配なくできるCT撮影を拒否することは、逆に犯罪性を疑われることにもなります。

M:CT導入は、橋先生のお考えですか?
T:当時のことですが、遺体が犯罪の可能性の有無にかかわらず、死因究明のための国家的取り組みについての社会の意識は、とても希薄な時代でした。
病院内での死亡であればともかく、わざわざ、病院に運ばれ、もう一度、死亡くなられた方の遺体撮影する発想は、いろいろな意味で、是非もありましたが、逆に斬新な取り組みということでもありました。歯学部では、とても手を出せない領域と思われていました。医学部では、この取り組みについては、専門領域間(病理学、法医学、放射線学)など、高い壁(領域争い)があって、総論では賛成ですが、各論となると衝突で、ゴールが見えない論争が続いた時代がありました。私どもは三浦半島、横須賀では、解剖学を社会的な受け止め方もできる環境に恵まれた、唯一の医療系大学でしたので実現できた、本当に、奇跡のようにも思うところがあります。
現在は医師(法医学出身)に引き継がれ、また学校法人のご理解により、遺体専用装置として、私の時代のときの装置とは、別次元と思える最新のCT装置が設置されております。今は外野に居る私としても、内心は、とてもうれしく思っています。

 
展示内容を解説する橋先生

M:私のような一般人にしてみれば、世のため人のため、世の中が良くなることであれば、どの分野のお医者さんがやってくれても構わないと思います。
T:そうですね。人がお亡くなりになり、ご遺体の死因を究明するのは、人間として尊厳を守ることになります。もし死因がわからないままでは、病死で片付けられて天国に行ったご本人も、残された関係者にとっても、納得できるものではないでしょう。保険金や遺産が絡む物であればなおさらです。死因不明な社会(海棠尊著から引用)であったたら、どんなに経済的に発展していても、決して安心感はないでしょう。

M:CTを使うことが時代に合っていますか?
T:はい。遺体を傷つけることはありませんので、死因に不信感が多少でも残っている場合は、死亡時の画像診断を受けて、専門的に情報を得て、死者に報告もできる納得をするこころが、死者に対する最大の供養にもなるのではないでしょうか。死を受け止めることは必然ですが、身内の中で、死因がわからないという遺族の言葉が聞こえなくなるような社会になって、人々が安心して暮らせることになるのではないでしょうか。

M:最後の質問です。橋先生にとって解剖のやりがいとは何でしょう?
T:大学資料館に来館される皆さまに対して、見学された後、少しでもより高い健康志向の醸成に?がればと願っておるわけですが、人体構造の神秘性について、自ら研鑽を続けながら、社会性をもって情報発進をさせてもらっていますが、この活動を本望としております。現に、その目標に向かって地道に活動をさせてもらっておりますが、一つ一つが、生き甲斐、やり甲斐と思っています。この対談記事を読まれて、ご興味を持たれた方には、是非、横須賀まで足を伸ばされて、資料館にお立ち寄りください。

M:今日はありがとうございました。

終わり

  

(取材日 2020年8月17日)

 
副館長室

◇「死因究明」の解剖について 橋常男さんから追加記述
事件性が疑われるときは、犯罪捜査のために警察官が解剖の現場で立ち合います。入院患者が死亡したとすれば、検査結果から死因が判断できますが、いくつか例を挙げますと、元気な方が突然死んだりした場合は、犯罪性も考えて、死因を調べなくてはなりません。もう少し卑近な例を挙げますと、喧嘩中に死ぬ人もいます。そういう人の中には喧嘩中にたまたま病気の発作をおこして亡くなることもあるでしょう。加害者の罪の重さを決めるには、正しい死因が必要になります。また、死亡保険金搾取がらみで、犯罪の可能性を否定できない遺体もあります。
死因を調べることは、未知の感染症に対する予防医学的面や、保険金の正当な権利の区分や、そもそも犯罪捜査の一環は、死因を究明することで街の治安の維持などにも関与してきます。私は、解剖学講師時代に、法医科学で研鑽を積んだことや、これからの時代に3次元構築ができるCT(コンピューター断層撮影)装置を併用した新しい解剖学教育を手掛けるパイオニア的立ち位置を研究プロジェクトに選びました。そしてその中には人体標本の資料館も一緒に立ち上げる構造が含まれていたからです。
                
神奈川歯科大学は、三浦半島に位置する唯一の歯学部であるので、もし三浦半島で発生した死因不明の遺体(変死体)について、三浦半島横須賀で発生した遺体を、東京の大学まで移送する間に、新しい変死体が発生することも多いので、可能な限り、半島内で解決できるの死因究明センターの開設を目指しました(死因調査事務所、現在はさらに死因究明センターも併設、負立ちの教授による法医解剖がなされています)。歯学部で、このような取り組みは、全国初であります。

 

(撮影・構成 世紀工房)

 
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