アートが気になるインタビュアーが宮島永太良を探る!
「宮島永太良研究」第14回 「形」
Q=アートが気になるインタビュアー/A=宮島永太良
Q:前回からは宮島さんにとっての「形」に関してお話いただいています。そんな中、ご自身も含め「現代アート」という範疇の中では二次元と三次元がより近づいているということ。またそれは絵画が「絵画しかできないこと」を追って来たということに関係している、というお話でした。
A:かつては絵画というのは唯一、実物世界を写し取る手段でした。肖像画も人の姿を記録に残すもので、多くの権力者が画家を雇って自らの姿などを描かせたものです。しかし19世紀の写真(カメラ)の誕生によって、絵画はその地位が覆されるのです。
Q:なるほど、より現実を正確に、しかも絵画よりは短時間で捉られるわけですよね。
A:当時は「絵画は死んだ」とまで言った人がいるようです。しかしながら、長年人類とともに歴史を刻んでいた「絵画」という手法が、そう簡単に無くなるわけがなかったし、むしろ絵画に新しい可能性を見いだした芸術家も何人もいました。
Q:どんな新しい可能性だったのでしょうか。
A:まずピカソですが、それまで正面からしか描くことのなかった人物を、一つの画面の中で正面からも側面からも背面からも描いてしまった。つまり人間の展開図を描いてしまったのです。当然、画面は「人みたいだけど何だかわからないもの」となり、当時のピカソは狂人扱いまでされてしまいました。
Q:どんな世界でも初めてのことをやると理解を得られないものですね。
A:そうですね。今でも「ピカソの絵は何だかわからない」と言う人も多くいますが、それは情報と教育が行き届いていないだけであって、芸術史的にはピカソの仕事は偉大な革命として認められています。
Q:宮島さんはカンディンスキーに影響を受けたという話も聴いていますが、彼もそんな革命的な一人だったのでしょうか。
A:間違いないでしょう。かつて読んだ話だと、カンディンスキーは若い時、モネの「積み藁」の絵を見て、そこに何が描いてあるかわからないと思ったにもかかわらず、とても絵に惹かれるのはなぜだろう、と考えたそうです。
Q:モネが積み藁を描いた意図とは別に、全く体験のない絵をそこに見てしまったということですかね。
A:そうだったのだと思います。カンディンスキーはこの体験から抽象絵画の実験を出発させます。彼が特出しているのは、その抽象絵画を音楽にたとえたことでしょう。音楽とはその昔から、メロディーとリズムさえあれば、歌詞、つまり具体的なイメージなど伴わなくても成り立っていました。絵画も結局は同じではないかということです。「色はメロディー、形はリズム」と考えれば、何か具体的な「事物」を描かなくても成り立つことがわかったのです。
Q:気がついてみたら写真とは全く違う方向に行ってたんですね。
A:はい。以降は私の考えなのですが、音楽ではメロディーやリズムがまずありますが、それらを異なる楽器でどんどん重ねられて行くと、合奏、要はオーケストラ化して行きます。それは絵画で言えば立体化を意味するのではないかと思うのです。そうなると、すでに二次元の域を超えているわけです。
Q:音楽に即した一連の流れはわかりやすいと思いますが、現代美術においてはこうした二次元から三次元にいたる流れが、少なからず意図されているということですね。
A:あくまで音楽はわかりやすい喩えですが、絵画の新たな可能性を追うことは結果的に、平面(二次元)という域を飛び越え、三次元の中での二次元を考えさせるまでに至ったのです。フォンタナの、キャンバスの表面をナイフで裂いた作品などは、まさにそうした問題を提示したんだと思います。
Q:ところで宮島さんの中でも、そうした「平面」と「立体」が交差的になっている経験はありますか。
A:私が創作をし出した頃は、こうした一連の考え方はもうある意味「古典」のようになっていました。私はどちらかといえば美術史を見てこうした考えを自然に受け入れた方だと思います。むしろそんなことを知らない子供の頃、頭の中で平面と立体が共存していたことはありました。
Q:それはどのようなことですか。
A:例えば文字です。
Q:なるほど。文字も形ですね。
A:はい。漢字ももともと象形文字から始まったことを考えれば物の形を人々が認識した最初と考えても良いかもしれません。
Q:では次回は「形としての文字」のお話も、詳しくうかがいたいと思います。