TOPTalk : 対談

アートソムリエ 山本冬彦さん 絵との関わりを語る… 中編

山本冬彦さんと宮島
 

◇山本冬彦(Yamamoto Fuyuhiko)さんプロフィール

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アートソムリエ/隠居コレクター
1948年 石川県小松市出身
東京大学卒業後、保険会社などで40余年間のサラリーマン生活を送る。その間、趣味として毎週末には銀座や京橋界隈のギャラリー巡りをし、若手作家の作品を購入し続けたサラリーマンコレクター、集めた作品は1,700点以上。2010年には新宿の佐藤美術館で「山本冬彦コレクション展:サラリーマンコレクター30年の軌跡」を開催。現在も毎日のギャラリー巡りとコレクションを続け、アート普及のため講演や活動、最近は若手作家の発表の場として数々の企画展を実施。雑誌や新聞などの取材執筆のほか、毎日のようにfacebookやブログでアートファンへの情報提供を行っている。主な著作は「週末はギャラリーめぐり」(ちくま新書)。   


前号からの続き…

月刊宮島永太良通信編集部(以後M):現在、山本さんは若い作家のためにどのような活動をされているのですか?
山本冬彦さん(以後Y):その前に予備知識としてこれまでの日本の美術界の動向について少しお話したいと思います。まず作家を取り巻く環境ですが、昔は企画画廊がこれはと思う若い作家を見つけて、自分の画廊でグループ展や個展を企画し、それをコレクターが支え育てていくという作家―画廊―コレクターの理想的な関係がありました。そしてある程度知名度が高くなると大手画廊やデパートなどでも発表し、広く一般の人にも有名な作家になり美術館でも展覧会をするようになるという流れがありました。
一方、それ以外の美大を卒業したての人が作品を発表するとしたら、バイトして貯めたお金で貸画廊を借りて展覧会をするしかなかった。それを企画の画廊さんに観てもらったり、コレクターの目に触れたりしながら時間をかけて企画でやってもらえる作家になっていくしか道はなかった。いずれにしても作家として一人前になるには時間がかかるものだと作家も自覚していたし、周囲も長い目で作家を応援し育てていく良い時代があったように思います。

M:では、現在に目を移すとどうでしょう?
Y:環境もかなり変化しました。毎年15,000から20,000人くらいが美術系の学校を出ています。全員が作家になる訳ではありませんが、絵の生産者やその予備軍が年々増えて行くわけです。ところが、それに反して絵の個人ユーザーである購入者やコレクターは全然増えていないし、大口ユーザーである企業や美術館も以前より作品購入の資金力がなくなっていて、美術界は構造的な不況に陥っていると言えます。日本は世界でも有数の美術好きの国民と言われます。実際美術館の入場者数は世界のトップクラスですが、これは美術の鑑賞者であり美術品を買ってくれるユーザーではないんです。

山本冬彦さん

M:その美術界の中はどうなっているのでしょう?
Y:先程の好例とは別に日本には古い美術の世界の複雑な仕組みがあります。その美術界で、どうやって出世して行くかと言うとまず良い美大を卒業して、油絵だったら日展、日本画だったら院展などの有名な団体展に参加します。団体展に入ってから入選を何回か続けると地位が上がり、それに加えて権威ある賞をもらうとまた出世、そしてトップになると文化勲章が貰えるというような仕組みになっていた。
このようなサラリーマンの世界と同じ様な出世の道が厳然とあり、その中で出世するのが現在の50〜60代までの日本の作家の成功パターンでした。だから4浪5浪しても東京芸大に進みたいと願い、卒業したら団体展入って一所懸命頑張って地位を上げることに力を注ぐのです。何故なら、それに応じて有名団体の会員や同人だからいくらというように作品の市場価格も上がっていったからです。また、そんな仕組みも作品のジャンル別に出来ていて、うちは日本画、うちは油絵、うちは版画というふうに分かれた団体展毎の縦割りのタコツボ状態でした。しかし現在はどうかと言えば、ユーザーがアートフェア等でジャンル横断的に見るようになり、美術界もグローバルな時代になり日本の過去の仕組みや権威がほとんど崩れ去ろうとしています。

廊下

M:それはどんな状況なのでしょう?
Y:例えば10年ぐらい前だったら日展とか院展というような団体展の名前は一般の人でも知っているし、団体展のトップや看板になる人気作家の名前も一定程度知られていました。ところが、現在は有名な団体展の名前はとりあえず知っているけれど、その団体展のトップや属している作家の名前を知っている人はほとんどいないと思います。有名な大企業の名前は知っていても社長の名前まで知っている人がいないのと同じです。
一般の人でも知っている作家は草間弥生とか村上隆、奈良美智といったグローバルで有名になった作家で団体展に属した人ではありません。つまり現在では団体展の権威や肩書は昔ほどの力を持たなくなってきています。サラリーマンの世界に置き換えれば、転職市場で自分は一流会社の部長だった、課長だったという肩書をアピールしても、それは別にしてあなたは今何ができるのですかという個人の実践能力や市場価値が問われる時代になっているようなものです。

若い作家さんと山本冬彦さん

M:団体展には若い作家いるのでしょうか?
Y:いないことはありません。しかし団体展の権威がなくなり、入るメリットもなくなってしまったので、最近は入らない人が多くなったようです。加えて団体展に出品するために年に何回か大きな作品を発表しなければならないし、団体を維持するために会費を払い、招待券を買わされ売らなければいけないわけです。しかし、地方ではまだまだ団体展の権威や仕組みが有効で、若い人も参加しているようです。そんな状況で若い作家が団体展を続けていくのは大変ですし、彼らの将来には団体展の力はもっと衰退していると思います。そんな彼らを応援してあげるには、まず発表の機会を作ってあげること。そして作品を買ってあげることがベストだと僕は常々考えています。

所蔵作品の展示

M:では、山本さんは若い作家を応援するためにどのような活動をしているのですか?
Y:僕は色々な企画を頼まれますが、若手作家の応援に共感してくれる画廊さんの協力を得て、普通より良い条件で作品発表のできる展覧会を企画しています。それが年間10件ぐらいあり、ひとつのグループ展で10人とすると、そんな企画が10あれば100人の作家の発表枠ができます。そのチャンスをできるだけたくさんの若い作家に与えるために日頃から画廊や学校を巡りこれはという作家を見つけ、テーマや画廊の雰囲気、場所を考えて人選をしています。
一般的な画廊でのグループ展のやり方は、油絵だけ、日本画だけ、同じ美大、同じ団体展の人とか同じ地元作家だけなどの縦割りが普通ですが、僕は様々な画廊を横断的に観ているコレクターなので、できるだけ多様なジャンルの作家とか異なる地域、違う美大の作家を混ぜて一緒に観てもらう他流試合にすることを心掛けて企画しています。そのほうが観ていただく一般の方には楽しんでもらえるし、作家にとってもすごく刺激になるのです。
こんなことができるのはサラリーマン時代に会社以外の異業種の人たちとサラリーマン勉強会をしていたからです。同じサラリーマンでも業種や会社が違うと全く常識や社風が違うことを学んだことに影響を受けたからで、普段縦割りの発表の場しかない作家たちに刺激を与え、勉強してもらいたいとの思いからです。

 

次号に続く

(構成・撮影 関 幸貴)

 
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