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アートが気になるインタビュアーが宮島永太良を探る!

 

「宮島永太良研究」第10回

=アートが気になるインタビュアー/A=宮島永太良

:前回は、幼児期の宮島さんが藤城清治さんのキャラクターをテレビで見ては観察して、絵に描き写していたと言う話をうかがいました。そうした絵は当時、友達どうしで見せ合ったりしたことはあったのでしょうか。
:それが幼稚園時代、お絵描きの時間などにそういうのは全く描かなかったように思います。幼稚園がテレビのものはあまり薦めなかったこともあるかもしれませんが、私にとってキャラクターは、あくまで家で描くプライベートなものでした。。

家

:それでは、幼稚園のお絵描きではどんなものを描いたのですか。
:私は2歳のときに家を引っ越しているのですが、なぜか2歳までしかいなかった家の記憶が今もあるのです。幼稚園時代ならなおさら覚えていたのでしょう。前に住んでいた場所の絵を描くことが、キャラクターの絵と並んで非常に好きだったのですが、幼稚園ではそんな「風景画」ばかり描いていました。私の住んでいた家は駅前の小高い丘の上にあったのですが、そうした丘の上に家が何軒か建っている風景ばかり描いたのです。

:それは幼稚園児としては変わっていますよね。
:そうだと思います。そもそも、幼稚園に入ってもあまり友達と馴染めず、一人でいることが多かった上、そんな絵ばかり描いていたのですから、保母さんから見たら少し問題ある子と思ったかもしれません。

:ある意味、人生で最も早いレトロの思考ですね。
:それはかなりあります。実は小学校に入っても、急に幼稚園以前に使っていたおもちゃが懐かしく思えて戸棚を探したりと、子どもの割にはレトロ思考が早い方だったと思います。

:普通あまり子ども時代には起こらない現象とも思いますが、何がそういう気持ちにさせたのでしょうね。
:かつてある人に聞いたことがあるのですが「レトロ=懐かしむ」という行為は、死から遠ざかりたいという思いの表れだと言うことなのです。

  

:なるほどそうですね。自分では気がつかないながらも、死と反側に進みたいという思いが「懐かしい」思考につながるのかもしれませんね。
:普通は子供の時、死のことなど考えないから前しか見ないですむのでしょうけれど、私の場合、3歳の時に身内の一人(大伯母)を亡くしており、また小さな頃からお寺に連れて行かれることが多く、位牌や当塔婆など、死を匂わせるものを見る機会が多かったので、知らず知らずのうちに死に対しての思考が植えつけられたのかもしれません。

:子どもでありながら、子どもっぽくない感じだったということですね。
:大人ばかりの中で育ったことも影響あるでしょう。幼稚園で最初友達と馴染めなかった原因もそこにあるのですが。

:幼稚園では友達と馴染めない期間は長かったのですか。
:いえ、はじめのうちだけでした。怪獣というものの魅力を知ってからは、友達とも交流できるようになりました。私の幼稚園時代は、空前の怪獣ブームだったのです。火付け役は何といっても円谷プロの「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」。実は私の幼稚園時代、それらの放送は既に終了していたのですが、なぜかそこに登場した怪獣や宇宙人が、世間の子どもたちの大人気になったのです。

:私も覚えています。テレビだけにとどまらず、出版や玩具、食品にまで展開されてましたね。
:そうした中、私も影響を受けざるを得なかったのです。もちろん怪獣の絵も描きましたが、今思えば、そこにコンテンポラリーアートを見る目の原点を培ったのかもしれません。

ウルトラマン

:怪獣がコンテンポラリーアートですか?
:親に怪獣の写真絵本のようなものを何冊か買ってもらったのですが、そこに出ている写真の怪獣(着ぐるみ)が実に面白いと思いました。

:子どもながらに怖くはなかったですか?
:怖いという感覚は全くなく、むしろ美しいとさえ思いました。そんな怪獣たちがテレビ番組の中で暴れていても、全く恐怖感はなかったです。

:本当に好きだったんですね。


続く… 

 

(写真:関 幸貴) 
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