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Road : つれtakeロード

 

昼夜、札幌巡り…

 今回の旅の先は北海道札幌市。宮島永太良にとってはなんと18歳の時以来の北海道である。あくまで宮島個人の思い出だが、その頃大相撲で千代の富士が横綱になり、絶大な人気を誇っていたことである。なので北海道、特にこの札幌へ来ると、大相撲、特に千代の富士のことを思い出してしまう。そして後でわかったのだが、千代の富士は北海道出身であった。今はモンゴル出身の力士が強く、横綱・大関まで上ることも多いが、昔は強い力士といえば北海道出身が多かった。そんなわけで、何十年という時を経て訪れた札幌は、当時の面影とは全然違うものだった。

マルタくんとムーちゃん、赤レンガ庁舎前にて

 「あの頃は外国に行ったことがなかったせいか、北海道は日本の中の外国といったイメージでした。しかし今は、国内にある他の大都市と非常に共通した街並みが見て取れます。ただ、本州以南の都市に比べ、街のスケールが大きく感じるのは、やはり北海道という広大な土地の一部だからでしょうか」札幌の玄関・札幌駅も、今や超近代的なデザインが取り入れられている。地下街へ向かうエレベーターホールなどは、まるで映画に出てくる未来都市を見ているようだ。またそれらとは対極をなすように、昔の丸形郵便ポストが、あえて新しいデザインで設計設置されているのには興味を引く。懐かしい形が新しいデザイン設計の中に生かされる。日本の今後の街づくりでの、一つの理想ではないだろうか。

札幌駅・郵便ポスト

 そして向かったのは、ご当地きっての名所、札幌市時計台。高さは19.825mと決して高くはないが、その存在感は偉大である。この場所は北海道大学の発祥の地であり、北海道大学の前身である札幌農学校の演武場として造られたものだ。その構想は初代教頭のウィリアム・クラーク博士によるもので、1878年(明治11)年に建設された。農学校の生徒の兵式訓練、体育授業、また入学式・卒業式等の式典を行う、いわゆる中央講堂として使われていた。もともと時計がメインの建築ではないが、創建当時は太陰暦から太陽暦への切り替えが行われた時代だったため、全国的にも西洋式時計塔がブームとなり、その流行にあずかったものだったという。そんな時計の鐘が今も鳴り続けているのは感動といえるだろう。

札幌市時計台

 続いては北海道庁旧本庁舎に向かう。1888年(明治21年)建築の、このレンガ造りの西洋館は、現在使われている新庁舎ができるまでの約80年間、道庁本庁舎として君臨したものだ。アメリカ風ネオ・バロック様式の建築で「赤レンガ庁舎」という呼び名でも親しまれ、横浜の赤レンガ倉庫との親近感を感じてしまう。現在の館内は北海道開拓関係資料の展示室となっている。しかしながらこのあたりには勢いのよいカラスが多く、うっかりベンチに食べ物を置いておいたりしたら、たちまち奪われることがある。北の生物たちはやはり生命力も強いようだ。

北海道庁旧本庁舎

 札幌市の中心地区には、市を象徴する「大通公園」がある。東西約1.5キロにわたり、面積も
約7.8ヘクタールを有する広大な公園である。「最後に札幌を訪れて以来、市内もすっかり変わったという印象ですが。先ほどの時計台の建物とこの大通公園だけは、当時の面影を見ることができます」ただ、その後宮島はパリへも訪れているが、パリの街に面影が似ているのも、札幌ではここだけだという。公園の中央にあるテレビ塔が、エッフェル塔を連想させるのだろうか。

石川啄木歌碑

 その「さっぽろテレビ塔」は高さ147.2メートル。 電波発信塔として1957年(昭和32年)に完成したというから、東京タワーの1年前になる。松下幸之助の発案により取り付けられたという電光時計が特徴で、現在は発光ダイオード製となっている。その文字表記も「ナショナル」から「National」へ、そして現在では「Panasonic」になり、時代の流れを感じさせるとともに、企業のCIの歴史的推移も表されていて面白い。まだ札幌市内に観光地が少ない頃は、このテレビ塔の中にプラネタリウムや映画館もあったそうで、これまた時代の流れを感じさせる。地上90メートルの位置にある展望台からは、広い札幌の市街が一望できて圧巻だ。日本列島が北から始まることを考えると、札幌を一望することは、日本を一望することと言っては大袈裟だろうか。

さっぽろテレビ塔・大通り公園

 続いてはご当地きっての繁華街・すすきの。ネオン街を象徴する地名としてとして全国に轟くが、この「すすきの」は正式な地名にはない。したがって、すすきののエリアはかなりアバウトになるのだが、ここには今や8万人の人がいるといわれる。「女性だけで飲み明かしても安全な歓楽街」と言われるように、こうした場所にしては治安はかなり良いようだ。明治時代に開拓使がこの一帯を遊郭と定めたが、その後、遊郭が移転してからも、残ったこの地には昭和40年代以降、バーやスナック、居酒屋などの飲食店が一挙に増えていった。彫刻などパブリックアートも充実している。

夜のすすきの・大通り公園

「昔すすきのに来た時、札幌ラーメンを食べたことが忘れられません」
 ラーメン好きの宮島にとってはチェックをはずせない場所「ラーメン横丁」には、20軒近くのラーメン店が軒を並べる。この日も平日ではあったが、入口まであふれるばかりの人の列だ。やはり日本人のラーメン好きは全国どこでも共通のようだ。札幌は味噌ラーメン発祥の地でもあるが、それが全国に普及したのは昭和40年代初頭、インスタントラーメンのメーカーが札幌の味噌ラーメンを取り上げ、CMソングとともにヒット商品になったことが始まりというから意外である。
 そしてすすきのを背に、再び夜の大通り公園に戻る。札幌の夜はどこに行っても、北海道の地の偉大なスケールを感じる。そして、ぜひまた近いうちに北海道の他の場所にも、再び旅してみたいと思うのであった。

(文・写真 宮島永太良)

 
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