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アートが気になるインタビュアーが宮島永太良を探る!

 

「宮島永太良研究」第8回

=アートが気になるインタビュアー/A=宮島永太良

:前回までは、宮島さんの作家としての身辺をめぐるさまざまな問題についてお聞きしました。 今回は現在の作家としての宮島さんを形づくる原点になったものについてお尋ねしたいと思います。 宮島さんにとって、これまで影響を受けた作品、好きな作品というのはどんなものがありますか。
:日本の作品では長谷川等伯の「松林図屏風」(安土桃山時代)です。等伯50歳のころの作品と言われていますが、霞がかった空間の中、奥へ永遠に続く松林が描かれている有名な作品です。水墨画というモノクロームの画面でありながら、木々の色も、そして周りの空気感まですべて感じさせているところが「凄い」と思いました。

宮島永太良

:どんな「凄さ」でしょうか。
:そうですね。よく美術品を評価する時、「凄い」とか「美しい」とかいう言葉は使うべきではないと言われます。もっと具体的に良さを表明せよ、と言うことだと思います。私も今 「凄い」と言ってしまいましたが、この作品は本当のにあえて「凄い」としか言えませんでした。あえて言えば、自分がこの空気の中に一緒にいるような錯覚を起こさせてしまうほどの描写力です。そして、奥の方にある(であろう)描かれていない松の木の存在まで想像させてしまう「描写」の技術に魅せられました。平面でありながら「空間演出」できている作品の最高峰を見た気がします。

:では海外の作品で何かありますか。
:ピエト・モンドリアンの「ブロードウェイ・ブギウギ」です。 モンドリアンはオランダ出身で、母国では「新造形主義」という芸術運動を唱えました。東洋の禅にも影響を受けていたモンドリアンは、その影響からか、最小限の造形を追及し、ついには縦と横の線、原色である赤・黄・青・白・黒だけで画面を構成する絵画に至りました。今では彼の作品はデザイン的に引用されることも多いようですが、もともとはとてもストイックな思想に基づいていたのです。 しかしモンドリアンは、晩年になればなるほど、構成要素は同じながら、画面がより賑やかになって行くのです。その究極の例が1943完成年の「ブロードウェイ・ブギウギ」で、タイトルにもあらわれている通り、当時流行していたジャズからインスピレーションを得たものでし た。それまでのモンドリアン作品にほとんど感じることのなかった「動き」が顕著に出ている のです。翌年亡くなるモンドリアンにとって、まさに最晩年に一番の躍動感と輝きを見せたのです。

:宮島さんにとって、好きな作品はやはりずっと変わりませんか。
:今、代表的なものを2点あげましたが、その他にも非常に多くの作品から感銘を受けています。ただそれらは時代とともに少しずつ変わっているのも事実です。以前、渋谷方面のカフェの前を通った時、とても魅力的な抽象絵画が店内にあり「自分もこのようなものを描いて みたい」と思ったことがあります。しかし、その数年後に同じ店の前を通ったら、確かに同じ作 品があるのですが、全く魅力を感じなかったのです。先に挙げた2点は何十年も私の中で魅力を保っているので、自分にとっては本当に栄養になった作品だったと言えます。

:それではアーティストとしては、どんな人に影響を受けましたか。
:日本ではまず岡本太郎です。太郎の作品を最初に見たのはとても幼い5歳の時、大阪万博の「太陽の塔」。巨大なトーテムポールという印象でした。その少し前に、当時住んでいた近くにトーテムポールがあり、子供ながらにとても気になっていました。いつも近くに行っては観察し、その 不思議な造形、紋様などを絵に写していました。

美術館にて

:そのころから絵は大事なツールだったんですね。
:それからというもの、子供ながらに、岡本太郎の絵は気になる存在でした。テレビで太郎デザインのグラスが貰えるというコマーシャルをやっていたのは強烈でした。そのころはご本人も健在で、グラスデザインの原型を作っている場面が放送されていましたが、これが初めて見る太郎本人だったと思います。小学校の図工室に、どう見ても岡本太郎の絵にそっくりのコピーがありました。先生に自信たっぷりに「この絵は岡本太郎でしょ」と聞いたところ、違うということでした。その時は残念に思ったのですが、今考えてみると、あれはミロの作品だったと思います。その後、ミロも大好きな作家となるのですが。 岡本太郎は、発想の点でも実に優れていると思いました。

:どのようなところがですか。
:「座ることを拒否する椅子」という作品があるのですが、手の形をしていて、あえて座りにくく作ってあるのです。あれはそもそもものの存在を根底から考えさせる作品だと思います。昔、奈良のお寺の見学に行った時、門の真ん中に柱が立っていて不思議に思ったら、同行した専門家から「門と言うのは人を入れないためにあるものだ」と解説されたのを思い出します。

:それは今の宮島さんの創作にもつながっているかもしれませんね。
:成人してから太郎の著作を読みましたが、縄文土器を大変評価していたことが印象深いです。さらに「自分たちの世代は過去を超えなければいけない」「過去の作品の偉大さに負けて はいけないいんだ」という思想には勇気をもらいました。

:過去の偉大な作品というのはどうしても「超えられないもの」という思いが強いかもしれません。自分が弱ければ負けてしまうかもしれませんよね。他にはどなたかいますか。
:もう一人は東山魁夷です。先ほどの岡本太郎とは作風が全く違うので意外に思われるのですが、両者から影響を受けたのは事実なのです。 東山魁夷の作品を初めて見たのは意外にも中学校時代の国語の教科書でした。確か魁夷の作品についての論評のようなものが載っていたのだと思います。その頃は、自分で絵はなんとなく描いてはいたものの、美術史のことなどほぼわかりませんでした。しかしながら東山魁夷の透明感のある乾いた風景画はとても美しいと思いました。あ、また「美しい」という言葉を使ってしまいましたが。

:先ほど話された長谷川等伯の作品に通じませんか。
:はい。モノクロとカラーの違いとはありますが、その空気感は共通するものがあります。特に「道」という作品は、どこまでもまっすぐに続く道が描かれていて、その先に何があるのかまで思案させられます。

:宮島さんの作品にも、道のような、川のような、虹のようなものが永遠と続くものがありますが、影響は受けていますか。
:直接意識したことはないのですが、どこが脳裏に残っていた可能性はあります。 実際、水のほとりや山間部に行った時、東山魁夷の絵の中に来たような錯覚を感じる時があります。やはり独特の空間を作り出してしまえるアーティストの技術には、あらためて魅せられるものがあります。

宮島永太良・作品前にて
(写真:関 幸貴) 
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