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Friendsには、ジャンルを問わず宮島永太良の友人知人が登場!
毎月、ショートインタビュー、コメント、活動予定をお伝えします。
 

昨秋に続き、現在もサンディエゴで個展開催中の
ロコ・サトシさんにアメリカでの新旧エピソードを語っていただきました! 後編

 
ロコ・サトシさん
 

● ロコ・サトシさん プロフィール

spaceロコ・サトシさん

アーティスト。
1970年代後半から桜木町の高架下で壁画を描き始め、日本ウォールペイントの草分け的存在。1989年の横浜博覧会では最大級パビリオンのペイントを行う。以後、自身の制作活動と同時に子ども向けワークショップや絵本の執筆など、アートで多岐にわたる活動を展開し続けている。1989年から5〜6年間、日本とアメリカを往復しながら制作活動を行い、2018年秋には西海岸サンディエゴで個展開催。今年も同地で2月から7月まで個展開催中。
2013年から個人活動に加え、横浜をベースにしたアーティストグループ「ArtQ」を主宰、2018年で画業40年を迎えた。

*前号からの続き…

月刊宮島永太良通信編集部(以後M):サンディエゴと往復生活をしている時、日本では どんな制作活動をしていたのですか?
ロコ・サトシさん(以後R):個展はあまりしていなかったけれど、グループ展に参加して絵もポツポツ売れていたし、雑誌イラストでは人気があり、マガジンハウスとか色々な出版社から依頼があったね。細かいことになるかもしれないけれど、イラストに最初にセリフを入れたのがボク。それで、イラストの仕事を1週間すれば1ヶ月はなんとか生活できたんだ。でも、特にイラストレーターになる気もなかったし、とにかく当時はブラブラして好きなことをしていたかった。

M:サンディエゴに行く時は、イラストの仕事はどうしたのですか?
R:ケースバイケースだね。イラストって文字原稿を読み、それに合わせて描くのが基本、だから締切りに間に合わないこともあったし、自分の勘で何にでも合う作品を送ったこともある。イラストは墨でチャッチャッと描くだけだけど、3ヶ月間、向こうにいると雑誌の連載がなくなってしまうことがあった。まぁ、でも「ケセラセラ」だね(笑)。

ロコさんの作品

M:そんな感じですか?
R:う〜ん、そうだね。日本の仕事に関しても終始自然の流れに任せていて、何処でも描いていれば良かったんだ。

M:当時も今もロコさんのペースは変わりませんね。ところで、サンディエゴの話をもう少し詳しく聞かせてください。
R:米行ったり来たり5〜6年は、2020スタジオをベースにルーベンのプロデュースでカリフォルニア州サンディエゴやメキシコだけでなく、ワシントン州など地名は分からないけれど、米国内の何ヶ所でも制作したね。ただね、思い出しても彼らのボクに対する扱いはかなり乱暴だったと思うよ(笑)。

M:乱暴?
R:例えば制作当日、車で現場に連れて行き画材と共に下され、ルーベンの「夕方迎えに来るから」の一言で、西も東も分からない場所で丸一日描くとか、大きな仕事だからと言って、たくさんのアシスタントをつけてくれたけれど、全員が全く働かずに笑顔でボクの制作を見ているとか、日本では信じられないことが日常的に起きていたんだ。でも、いつの間にかそれが普通になって、楽しむ様になってしまった。

ロコさんのアトリエ

M:その状況で、ロコさん自身は危険な目には合わなかったのですか?
R:ないことはないけれど、個人的に切迫した状況に陥ったことはなかった。どちらかと言うと、ボク自身が不気味で危険な存在と見られていたのかもしれないな。

M:不気味で危険な存在?
R:今もそうだけど、描き始めると夢中になって自分の姿が何も気にならなくなり、全身が絵の具だらけになっていることもしばしば。サンディエゴでも人がジロジロ見るから、髪の毛から爪先まで絵の具だらけの姿で町を歩くのはイヤだったけれど、ボクが危なそうに見えるから、人は絶対に近寄って来ない。それが究極の危険回避の理由じゃないかと思うよ。ある意味、絵に守られていたのかもしれないね。

アトリエにて

M:危険回避の理由もロコさんらしいですね。ところで、サンディエゴで楽しかったことは?
R:日本でも変わらないけれど、毎日、絵を好きなように一日中描いていられたことかな。あとは友だちがいっぱいできたこと。

M:友だちとの会話は?
R:英語、最初はからっきし駄目だけど、慣れと言うのかな、行ったり来たりでもルーベンや近い友だちとの意思の疎通は時間の経過と共にできる様になったし、面白い出会いもあった。

M:面白い出会い?
R:実は、横浜とサンディエゴとは1957年10月29日から姉妹都市。で、サンディエゴは第7艦隊の寄港地。高速道路に絵を描いていたら、ネービーさんから「ハ〜イ、ロコ! お前の絵を横浜で見たぞ!」と言われた時は嬉しかったね。そんなこんなで、1992年には姉妹都市提携35周年記念として、横浜市民ギャラリー全館で開催された「サンディエゴ現代美術展」をボクがコーディネート。翌93年には、サンディエゴで「横浜の波」を開催と、思ってもいなかった経験ができた。

サンディエゴ現代美術展

M:盛りだくさんの90年代のサンディエゴ生活でしたが、今どんな思いをロコさんは抱いていますか?
R:まず、日常的なことだけど、サンディエゴでは芸術に理解を示す人が多く、日本人だとウンチクがないと逃げる人ばかりだけど、「好きだよ、嫌いだよ!」の反応がダイレクト。それから、ちょっと知り合いになると、日常生活で「助けてあげる」の声が日本より多く、暮らしやすかった。

ロコさん

M:人間関係がストレートですね。
R:そう、とにかくサンディエゴという地で、良くも悪くも日本では味わえなかったことを経験、山ほどの刺激を受け、それが今も自分絵に生かされていると思う。ボクの絵って、描く段階になると静物とか風景じゃなくアブストラクトだから自分の世界に入ることになり、社会性のフィルターを取り払わないと描けない。ある意味、「狂気の世界」。だから、日本では家族に迷惑をかけることもしばしば。でも、サンディエゴだと、英語ができないから喋らなくてもよく、変なフィルターを意識することはなく、目一杯自分を出せたと思う。去年からその過去を追体験できる様になったんだ。これからどんな未来が待っているのか楽しみだよ(笑)。

M:今日はありがとうございました。


構成・撮影 関幸貴

「政岡玄ちゃんの音楽便り」第46回

みなさん、お元気ですか? 玄です。「令和元年」良き時代になりますように。
新天皇陛下の著書「水運史から世界の水へ」。やっと、この時代が来たのか!
なんか嬉しいです♪。

水運史から世界の水へ

平成最後のステージは、「平成31年備前国総社宮春季例大祭」。
皆様、お聴いただききありがとうございました。
1曲目は奉納という事で、大神様に《Stand by me》。
これは初めてステージで歌った曲であり、政岡玄のLiveと言えばというこの歌です。
大神様と向き合ってるうちに、なんだか自分とも向き合い、いろいろ思い出しながら、
だんだん心が解放され、ついみんなにも声をかけて、一緒に歌ってもらうという
連帯感が止まりませんでした。それにしても、最響に気持ち良かった。
この響感は、最高に幸せのひと時でした♪

平成31年備前国総社宮春季例大祭にて

実は2週間近く前、左肩の筋の痛みから指のシビレでろくにリハも出来ず、
2日前にやっとリハが何曲か出来るようになり。昨日はリハ途中で、
肩の筋がピキッとしたのですぐにやめました。で、朝起きて肩の調子で、
御神輿を担ごうと思いましたが、痛みがまだ少し残ってるので、
担がずにリハ前に到着という状況でした。しかし、大神様、武部宮司様、
イベント担当笠原様、皆様のお陰で、不思議と最響な感覚のステージが出来ました。
歌って本当に不思議です。そして、素敵な沢山の出演者の皆様、神社バルは、最高でした。

それにしても、拝殿後ろの、龍ノ口山の有名な超パワースポット感がハンパない。
山が龍の口の部分と言い伝えがあり、山を見上げる度に、凄いパワーを沢山いただきました。
ありがたやぁ〜

塚田さん&たくみ君

令和最初の来客は、GW初日に横浜日ノ出町から、まさかの塚田さん&たくみ君が来てくれました〜
なんと車で16時間かけて、四国、徳島剣山→愛媛→しまなみ街道→岡山県津山市へと移動。
ソウルフード肉フェス開催中で干し肉100点いただきましたぁ〜
ホント不思議な感じで、とても嬉しかったです!

GW最終日は、日本三名園/後楽園岡山城の水辺で超話題の桃ボートに乗り、
さぁさぁさぁ〜 オレより早い桃は、どこだぁ〜の気持ち!
上位に行く自信があるのでこれ大会するべきです。

超話題の桃ボートに乗る政岡玄さん

そして、お寺さんLiveでもお世話になっている誠心堂祭での人の輪、歌も楽しい〜
本格派シェフの魚料理を お手頃価格ワンコインでいただけるとは、これまた有り難い。
めちゃ美味でござりました。自然の恵みにも感謝であります。

さぁ、手のシビレも治って来たので、水辺の季節に地団駄していた日々にサヨナラして、
去年から計画していた事に突き進んでいきます。

Love&Peace♪♪(^-^)v
政岡玄

 

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☆HP→http://www.gencrs.com

(文・写真提供 政岡玄)

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