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アートが気になるインタビュアーが宮島永太良を探る!

 

「宮島永太良研究」第6回

=アートが気になるインタビュアー/A=宮島永太良

:前回の最後では、宮島さんが作家活動をする上で、自己満足にならないよう気をつけなければいけない、というお話があり、その一例として作品の値段のこと を挙げられたのですが、今回はその辺をお聞きしたいです。
:そもそも絵画の値段の付け方というのも、一般には不透明ではないかと思います。作品の値段=価格を決める要素は本当に様々で、私も全てを知るのは不可能なのですが、 まず絵画の世界では、「号単価を上げよう」という目標が一般的に語られている事実があります。あらためて説明しますと、元来、日本の美術界での洋画はキャンバスに 描くことが前提とされていて、そのキャンバスはサイズを1号、2号と数えます。絵画の価格はキャンバスの大きさが基本、つまり1号(ハガキより一回り大きいくらい のサイズ)あたりの価格が高い作家(画家)が評価の高い作家とみられるわけです。

宮島永太良

:多くの画家さんは、自分の作品の号数あたりの価格が上がっていくことを目指すわけですね。
:そうです。実は私も世話になった関係者の何人かから、こうした提案を受け、当たり前のように受け入れてきましたが、ある時から疑問に感じはじめたのでした。

:こうしたシステムそのものにですか?
:いえ、それはそれで一つの美術界の評価の目安なので否定しませんが、こと自分にそれを当てはめた場合どうなのか、と思ったのです。 たとえばもし自分の描いた絵を大変気に入って、購入してくれるという方がいた場合、安く売ってもいいから持ってほしいと思う人も少なくないのではないでしょうか。 極端な値引きはもちろんよくはありませんが「私の作品は高いから、どんなに気に入ってくれても滅多に買えません」という姿勢になるも避けたいと思ったのです。

:そうした号数と値段の関係というのは必ず守られなければならないものなんでしょうか?
:そうとも限りません。ある画商の方から、作品には表の値段と裏の値段(買い手の要望によりある程度下げた値段)があることも聞きました。つまり 号数を基本にした定価というのは、あまり確固としたものでもないといえるでしょう。

:今後、宮島さんは作品を売る場合、やはり号数や定価にはこだわりたくないとお考えですか?
:はい。号数はあくまで目安ではないかと思います。作者の作品に対しての思い入れとか、どのくらいモチーフを観察したかなど、価格を決定する要素は いろいろあるかと思います。またオークションのようなシステムが入れば、思わぬ高額販売を招くこともあるかもしれません。世の中の商品は需要と供給の バランスから価格が決まるのが一般的です。絵画(美術品)をそうした商品と同線上に考えられないところがまた難しいのですが、需要や供給を全く無視した価格の付け方 というのも、自己満足の第一歩になってしまうのではないか、とも感じられるのです。

展示風景

:作品の価値というのはどう決まっていくのか、これは永遠の課題ですね。
:またこういう意見も言われたことがあります。西暦2000年頃、ちょうどインターネットが一般的になって来た頃ですが、私の作品写真をネットに載せる という話が浮上した時、ある人から、「作品をネット等に載せては価値が下がることにつながるからやめた方がいい」と言われました。これも私からすれば逆で、できるだけたくさんの人に作品を見てほしいので、たとえ本物でなくとも、まず自分の作品を多くの人が目にしてくれることが始まりなのではないかと思ったのです。 価値が上がるか下がるかはその次の問題ではないかと。

:なぜその方は価値が下がると思ったんでしょうね?
:おそらく作品を、お寺の秘仏のように考えたのだと思います。古来からある、特に有名なお寺では、本尊を年に1回くらいしか公開しない、あるいは一般に全く 公開しない「秘仏」という考え方があります。それらは滅多に人の目に触れないということで、一つの価値を作っているのでしょう。もちろん美術の作家にもその ようなスタンスの人もいるかとは思います。しかし、こと私にとっては反対な気がしました。多くの人の目に触れることと、価値が下がることは、全ての場合に比例するとは思えません。

:確かにルーブル美術館やMOMAなどにある作品は、出版物やネットに何度出たからといって、作品の価値が下がることはないでしょうね。
:はい。私の作品にはそうした世界的に有名な物はありませんが、「自分の作品は滅多に見せないんだ」という、やはり自己満足的な奈落へ落ちてしまうのも怖い話です。

:近年宮島さんが行っているキャラクター活動も、そのような「秘密主義」なものとは対極にあるのではないでしょうか?
:そうですね。特に子供たちがキャラクターと親しく触れ合ってくれている姿は、ある意味で自分の作品観からも飛び出しているように思います。社会的に人に動いて もらうという意味でも、私はそれで良いのではないかと思っています。

マルタ
(写真:関 幸貴) 
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