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Road : つれtakeロード

 

初夏の鶴川を散策…

 2018年5月末、宮島永太良は、母校の和光大学がある鶴川を訪れた。 この日の同行は同じ大学の先輩であり、アーティスト仲間で長い付き合いのあるアキラ・シモン氏。

宮島永太良とアキラ・シモン氏

 鶴川は番地でいえば町田市なのだが、川崎市との境も入り組んでいる微妙な場所だ。 それは同時に、神奈川県と東京都との都県境でもある。 久々に来た小田急線鶴川駅のホームはほとんど変わっていないが、駅の周囲はとても変わった印象を受けた。 2人とも在学中よく教授に連れて行ってもらったというなじみの飲み屋は、2度の引っ越しを経て、駅近くの別な場所へ移動。 宮島は在学中、駅前に和光大学のオープンカレッジ専門教室ができたことをよく覚えているが、現在は大学内に統一されたようだ。 また、鶴川には、和光大学と線路を挟んだ反対側をしばらく行くと、白洲次郎の旧邸宅であった「武相荘」があることでも有名だ。

小田急線鶴川駅のホーム

 母校・和光大学は、鶴川駅から徒歩15分ばかりのところにある。 大学へ向かう道は、鶴見川沿いののどかな通りだ。 「昔から鴨がこの川の中で戯れていたのは印象に残っています」と語る宮島。学バスの発着所も、昔のまま残っているのは嬉しいし、その隣の酒屋まで、そのままなのはさらに嬉しい。 宮島もアキラ氏も、よく大学で宴会があるとここまで酒を買いに来た思い出がある。 「急いでいる時はバスを使いましたが、時間ある時は散歩のような思いで大学まで歩きました」。

鶴見川 酒屋

 大学に向かう道に田や畑が多いのは昔から変わりなく、この風景を見ると、いまだに学び舎へ向かう高揚感が忘れられず甦ってくるという。 東京都にある大学ではあるが、都心の真っただ中にある大学に比べ、こ うした自然環境に囲まれて学生時代を過ごせたのは、とても幸せだったかもしれない。 大学には昔から門などがなく、誰でも容易に学内に入れそうなのが特徴だ。 実際、宮島の中学の同級生は、何度か宮島とともに大学に入り込んで来た。 「自分が誘った責任もありますが、授業やゼミにまで平気で出てしまうのはちょっと戸惑いました。 でも実際にそうしたことが可能だったのです」。 当時履修していたゼミの先生にも「中学の同級生です」と紹介したところ、先生も微笑みながら歓迎したという。 「私の友人だけでなく、先生の知人の他大生も、毎週のように来ていました」、そのならば先生も断るわけにもいかなかろう。

田園風景

 校舎へ向かうまでは、バスでなければ少し急な坂を登らなくてはならない。 今は若干この坂も植樹され、アレンジされているようだ。 坂の横には、昔と同じく舗装されていない駐車場がある。 在学中は何度か車で通ったこともあるという宮島は、この駐車場を何回か利用した。 ただ、本当に学生が使ってよかったのかは、今もわからずじまいだ。 一部、教職員のための駐車場という話もあったが、「車で来た時は、全ての授業が終わった後、これから家(小田原)まで運転するぞ、とテンションを高めたのは、今も忘れられません。 西に向かって走って行くので、夕暮れ空がとても美しく見えたのを思い出します」。 その時使った小田原厚木道路は、幼少の頃、祖母の営むアパートへ行く時に走った(運転者は別だが)思い出と重なり、郷愁あふれる道路だった。

和光大学石碑前で

 エッセイ「未来へのミラー」でも、この和光大学在学中の思い出話があったが、宮島の周囲は、とにかく枠のない人間関係が特徴だった。 学年単位で履修する授業が少ないため、他学年の友人もできやすく、果ては相手の学年も忘れてしまうというような現象もあった。 「自分も少し年齢を増した学生だったので、こういう環境はむしろ居易かった」という宮島。 それに対してアキラ氏は1年のころ、体育会系バリバリの(したがって上下関係きっちりの)部活に入り、あまりの厳しさに放課後が憂鬱になるほどで、2年でついに退部したという話もあり 、この大学にもこういう一面(つまり普通の大学にあるパターン)もあるのかをうかがわせる話だ。 その後彫刻ゼミを中心に学生生活を送ったアキラ氏は、やはり宮島と同じ枠のない友人関係の世界へ入ったようだ。

和光大学グランド

 二人は、同じ大学出身といっても、在学期間が重なっていない上、それがわかったのはお互いの卒業後。 それも、同じギャラリーで作家として活動するようになってからなので、大学では一度も顔は合わせていない。 だが、母校の話になるとお互い知っている先生や校舎の話で盛り上がれるのだから、不思議なものだ。 考えてみれば、同じ同窓生とお互いに知りながら、一緒に大学に戻って来たのは初めてのことである。

和光大学キャンパス

 在学中にはなかった施設も、この日いくつも見た。新たに加わった図書館の建物、そして購買部の外のカフェテリアなどは「昔、こんなのがあったらオシャレだったかも」といった感じか。 しかし大学の持つ雰囲気は、当時とほとんど変わっていないのが嬉しい。 宮島が在学中履修していた現代美術の授業、また西洋美術史の授業を行っていた校舎も健在であった。 この校舎には教授の研究室もあり、アルバイトで教授の作業補佐や入学試験の受験生誘導などのアルバイトをしたことも、同時に思い出す。

小田急線踏切

 母校を訪問した後は思い出の飲み屋に寄る。 場所は変わったが、店のママは当時とほぼ変わらない元気さだ。 2人の顔を覚えていてくれたのも嬉しい。 そしてこの店の焼き鳥は、昔から変わらずの絶品だ。 神奈川と東京に挟まれた、川と田園の町・鶴川。 「この町で過ごした学生時代は、まだ数年前のことのような気がする」と宮島は思う。それは社会人となってからも、知識の故郷として、いつも心の中に残っていたからだろう。 またの母校訪問が楽しみである…

(撮影・世紀工房)

 
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