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伊藤晴美さんが、7年後に再び出会った宮島永太良を語ります!

 
 伊藤晴美さん

 

今秋、丸善・日本橋店で開催された宮島永太良個展『異空間の発見』で、
母親の勝代さんと共に宮島をサポートした伊藤晴美さんにインタビュー♪

 
伊藤晴美さんと個展会場風景

編集部(以下Q ):
最初にアートプロデュースに関わるまでの職歴を教えてください。
伊藤晴美さん(以下A):
高校時代、年上に見られていたので歯科医の受付のアルバイト。 それ以後は、大学が仏教系だったので高野山の『霊宝館』や『宿坊』でお膳組みの補助。 大学卒業後は私のノンビリした性格に加えて、時代的にも就職難。 ホテルマンだった父の紹介で大阪の大きな病院に併設されたレストランでバイトとして働き始めました。

Q :
美術分野との縁は?
A:中学時代は美術部に所属。 アートには興味がありましたが、実際に関わったのは、大学時代に母から頼まれて京都市内で美術展の案内チラシを配り始めたのが、最初。 パソコンが使えたので、以後は他のバイトと並行して、依頼された展覧会の資料作り等を自然に行っていました。

Q :本格的にアートプロデュースの道を歩み始めたのは、いつ頃からですか?

伊藤晴美さんと宮島永太良作品

A:24~25歳頃、母から誘われたのがキッカケでした。
Q :宮島永太良さんとの出会いは?

A:2003年に大阪の丸善さん2店で行われたフランス人のフラワーコーディネーターのフランソワ・ガルニエさんとアーチストのフジモト芽子さん、宮島永太良さんの3人展『原風景展』の時が初対面。
Q :宮島さんの第一印象はいかがでしたか?

A:宮島先生は現在同様、とても真面目なイメージでした。
Q :作品はどうでしたか?
A:立体作品もありましたが、『新幹線とお弁当』の絵が今も鮮烈に頭に残っています。でも、私の少ない経験値から宮島作品への理解はかなり難しかった。

Q :何故ですか?
A:当時の私は美術の世界では駆け出し。 美大出身でもなく同僚から美術に関する事を学びながら、時代を越え連綿と続くオーソドックスな作品の展覧会に多く携わっていました。 だから、『コンテポラリーアート』との出会いは、3人展でのフジモト、宮島作品が生まれて初めて!  今思えば、我ながら理解できないのも仕方がないですね。

伊藤晴美さん2

Q :では、現在は?
A:少しは変わりました(笑)。
Q :
この7年間で何があったのでしょう?
A:私にとって大切な出会いがありました。
Q :
それは?
A:『お茶』です。

Q :あの『茶道』の?
A:そうです。
Q :では、お聞かせください。

A:宮島先生と最初にお会いした頃、担当は陶板等の焼き物関係がかなりのウェートを占めていました。 それ以後も年間40~50回、油絵や日本画等、色々なジャンルの展覧会に関わってきましたが、いつの間にか、当時の会社でお茶道具の展覧会のほぼ全てが私に任せられました。 この『陶器』*を扱ったことが、展覧会や出品作品に臨むにあたって、私に大きな影響を与えました。 最初は西も東も分からず、仕事としてこなしていたけれど、開催回数が多く、先生と北海道や鹿児島を始め全国を一緒に歩き、仕事をしていると、『お茶』に関した事を必然的に体得します。

宮島著書、DVDなど

Q :何を体得したのですか?
A:ジャンルを問わず、全ての展覧会に言えますが、まず自分自身が会場に詰めるので、お客様に対して失礼のないように対象作品の歴史、傾向を勉強してから入ります。 特に焼き物は種類が多いので、作家名や知識等、勉強することがたくさんありました。 また、会期中は、作者や訪ねてくれるお茶の先生から、『門前の小僧状態』で『お茶の世界』を自然に学ぶことができました。
Q :具体的なエピソードがあればお願いします。
A:デパート等で展覧会を開催する際、作者、デパートの担当者と私でお得意様への挨拶回りをします。 ある時、大阪でお茶の宗匠を訪ねたのですが、体調も悪い上にタイミングも悪く、帰宅早々のご挨拶になってしましました。 でも、それも意に介さず宗匠は、3人にお茶を点ててくれ、更に二服目を勧めてくれたのです。 でも、花柄の美しいお茶碗を前にした私は『口をつけるのが、もったいない…』と、思わずポツリ一言。 それを聞いた宗匠が、『それがお茶の心です』と、微笑みかけてくれたのです。 つまりこの瞬間、お互いの心遣いが出会ったのかもしれません。 これは一例ですが、お茶に関われたことで相手を思いやる心を学びました。

Q :
『お茶』以後、何か変化は生じましたか?
A:年齢も関係しているかもしれませんが、若い頃は季節の移ろいにほとんど興味はなかったけれど、今は日本の四季の素晴らしさを噛みしめることができるようになったと思います。 ひょっとして、和の感性が広がったのかもしれませんね(笑)。

伊藤晴美さんと宮島作品

Q :そして、7年後の宮島作品と再会を果たしましたが、印象に変化はありましたか?
A:人間的な印象はそのままでしたが、お陰さまで以前よりは、作品への理解が進化していると思います。 個展初日のオープニングのトークライブでも話題になった宮島先生の場所への思い込みの強さに通じるかもしれませんが、脳に独特の世界が構築されている気がします。 だから、頭の中を覗いたら、遠い記憶の中に『新幹線とお弁当』の絵もあるかもしれません(笑)。 それから、子どもの頃から仏教に興味がある私としては、絵に短い詩が加わることで『銀河鉄道の夜』の宮沢賢治のイメージが浮かび、先生の作品から死生観や精神世界が表現されている気がします。

Q :
最後の質問です。未来の宮島永太良さんのイメージは?
A:会期中に作品を購入していただいた気功をやっている大学教授が、展示作品、阪大に納入した作品、加えて会場でお客様に対応している作者自身からも強いエネルギーを感じ、特に色使いからは生命力が出ているので、宮島先生は将来的に人に元気を与える作品を描いて行くのが最良と、語ってくれました。 私も全く同感です。カラーを主体にした新しい世界観を表現する作品を期待しています!

Q :今日は、ありがとうございました。

*吉向松月窯:http://www.kikkogama.co.jp/

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