TOPTalk : 対談

特別企画 加藤力之輔さんクローズするジタン館を語る
 前編

 

◇加藤力之輔(かとうりきのすけ)さんプロフィール

画家。
1944年横浜市生まれ、五人兄弟の三男。
1972年からスペイン国立プラド美術館で4年間〈ティツィアーノ〉を模写研究。マドリードの美術研究所で人体デッサンの修練でモノの見方を学び続ける。
スペイン、日本で作品発表。横浜市民ギャラリー、印象社ギャラリー、文藝春秋画廊、小川美術館(東京)、同時代ギャラリー(京都)、ギャラリージタン館(鎌倉)等。 2004年より覚園寺(鎌倉)・新善光寺(京都)・梅上山光明寺(東京)で「異文化空間展」開催。NHK日曜美術館等にテレビ出演。現在は主に京都で制作。

 
 
 

加藤力之輔さんがジタン館での出会いについて語った…

かつて制作ベースがスペインのマドリードだった私は、今から10数年前、足場を母国である日本に移すことを決め、鎌倉の稲村ヶ崎に天井の高い日本家屋を借り、スペインで30年以上描き溜めた数えきれないデッサンと共に帰国し、アトリエを構えました。そして、アトリエ近くに住んでいるジタン館と懇意にしている方と知り合い、その方の紹介で2011年1月頃、妻と一緒に初めて鎌倉市津にあるジタン館を訪ねました。

 

初めて訪問日、江ノ電鎌倉高校前駅で下車、綺麗な海を背にして高校時代の通学路だった急坂を上がって行くと懐かしい感覚と不思議な期待感に包まれたことを今も覚えています。でも、丘の上にある母校の前を通り過ぎ、それから坂道を歩き続けること10数分、荒い息と一緒にやっとジタン館の前に着きましたが、最後に趣きのある石段と「GITANES」と書かれた門が待っていて驚きました。

 

ジタン館の中に入ると、かなり広く天井も高くて品があり、西洋風内装で、ギャラリーと言うより小さな美術館と言う雰囲気に再び驚き、ここで作品展示をしたいと、すぐ思いました。そして、人形作家でジタン館オーナーの荒井緋美さんとお会いし、その場で心地良いインスピレーションを感じたので、2011年春に荒井さんの人形作品を添えた私の展覧会をすることに決めました。しかし、展覧会初日の3月11日には、あの東日本大震災が発生、忘れられない日になりました。

 

遠くに富士山や江ノ島が見える環境に恵まれたジタン館、元々はご主人がオーナー荒井さんのために建てたアトリエで、ひょんなことから27年前に荒井さんのファンで人形コレクターの画家さんの一言からギャラリーを始めたそうです。とにかく、ここは多くの作家にとって作品展示をするのに最適な空間と言っても過言ではありませんが、私にとっては思わね出会いの場だったとも言えます。

 

まず、亡くなられた荒井さんのご主人が入院されていた東京都立駒込病院の院長室には、初代院長が購入したスペイン人の女性を描いた私の作品「帽子の女」が飾ってありました。それに加え、ご主人の縁で、今では荒井さんの人形作品が小児科病棟に置かれていることを、後になって分かり、本人同士が直接会う前から、作品がすぐ近くに存在していたことを知りました。本当に不思議ですね。

 

そして、かつて私が京橋のブリヂストン美術館で観てスペイン行きを決め、群像画を描くきっかけになった作品「海の幸」を描いた青木繁さんのお孫さんで、新橋で有名な「有薫酒場」の女将/松永洋子さんにも、荒井さんのご縁でお会いすることができ、まさかまさかと思いながら、肖像画まで描かせていただくことができたのは本当に幸いでした。他にも素敵な出会いはたくさんありました。これは他のギャラリーと違い、ジタン館の展示期間の長さも手伝ってのことだと思います。今は素敵な出会いをさせてくれたジタン館に心から感謝したいですね。

 

続く

 

撮影日:2022年12月14日 加藤力之輔展 第一章

 

(構成・撮影 関 幸貴)

 
 
 
 
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