TOPRoad : つれtakeロード

Road : つれtakeロード

 

目黒通り

今回のつれTAKEロードは、宮島永太良もかつて在住していたこともある地域、東京・目黒通りの大鳥神社から柿木坂周辺までを特集する。宮島の在住していた場所といえば、前々回の青山周辺もそうだったが、意外に住み替え回数が多かったことに気づく。中でもこの場所は10年以上の住居となったので印象深いという。

大鳥神社

まずは目黒通りと山手通りの交差地点にある、お馴染みの大鳥神社。毎年11月に行われる酉の市でも有名である。日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭ったことにより始まり、その社殿完成が806年という伝説があり、その意味では目黒区最古神社とされている(現在の社殿は1962年完成)。
「はじめて入った時は、いつも外から見ている印象よりこじんまりしていると感じました」
と、宮島も語るように、知名度のわりにはそんなに広くはないかもしれないが、立地的な存在感は大きい。

大鳥神社

大鳥神社を後に鷹番、碑文谷方面に向かうと、すぐにやや急な坂があらわれる。この坂の途中、向かって左には、多摩大学の目黒高等学校・中学校がある。多摩大学の本校舎は東京都多摩市の丘陵地帯にあるが、付属中学・高校はそれとは雰囲気を異にしている。多摩大学といえばかつてこの連載でも、宮島が多摩市にある大学を訪れた記録があった。
「学長の寺島実郎さんの講義を聞きに行ったことがありますが、外部からも聴講者が多く、満員でした」
また2021年には、この寺島実郎氏が主宰する雑誌「寺島文庫通信」の表紙にも宮島作品が使われたことは記憶に新しい。

目黒郵便局

この目黒通りでもわりと有名な建物、というか施設の一つに目黒郵便局があり、かつての宮島の住居からも近く、よく世話になったという。
「2000年から2009年くらいの間、個展をはじめ展覧会の数が多く、その案内を出すのにいつも来ていました。まだ今と違ってメールやSNSもそれほど(少なくとも私は)使用されてなく、案内手段の大半は郵便の時代でした。ただ、ここを引っ越した今も、郵便局に行く用事は多いので、やはりデジタルが普及したといっても郵便局の役割は減らないと思います」

目黒タワー

郵便局のほぼ筋向いには、NTT唐ヶ崎ビルがある。唐ヶ崎とは目黒区この界隈の旧地名から来ている。ここの屋上には大変大きく高い電波塔があるが、これがかなり遠くの距離からも確認できるのだ。宮島自身もかねてから「目黒タワー」と名付けてランドマークにしているという。もちろん本家本元の東京タワーも電波塔であるし、東京スカイツリーも平成最高位の電波塔である。
「私の出身地にも、電力会社の屋上に高い電波塔がありました。しかしある程度の歳まで、それを電波塔ではなく、昼のチャイムを鳴らすスピーカーだと思っていました。たまたま電力会社の近くにあった小さな本当のスピーカーから昼のチャイムが流れていたのを、大きな電波塔からの音だと勘違いしたのでしょう。電波を受けるのが、ちょうどメガホン、あるいはラッパのような形をしていたせいもかもしれません」

碑文谷交差点

このあたりは、どこも一定の距離はあるが、最寄り駅が祐天寺、学芸大学、武蔵小山と多彩な地域だ。またこのあたりは著名人、芸能人が多く住んでいるとよく言われるし、実際このあたり在住と自称している著名人もいる。
「住んでいた当時は、近所に著名人が多いのではないかと言われることもありましたが、私自身はほとんど会ったことがなく、また昔から近くに有名な人がいても気がつかないことが多いのです。そんな私でもこのあたりで見かけた人といったら、故・桂小金治さんくらいでしょうか(往年の「アフタヌーンショー」の司会でお馴染み)」
この通り沿いを見てみると、自動車の、特に外車の販売店が多いのに気づく。特に鷹番・碑文谷地域になると10店舗ほどは見られる。やはり高級自家用車、外車をマイカーとしている層が多いのだろうか。

ゴルフ練習場

目黒通りをさらに進むと、都内でも最大クラスのゴルフ練習場がある。3階建て80打席、そして170ヤードのフェアウエイを持つ。宮島もたまに練習でここを訪れるが、このくらい広いと、実際のゴルフ場でのイメージがつかめてやり易いという。ゴルフといえば遠くに飛ばすだけでなく、アプローチやパター、バンカーショット等もこなさないと乗り越えられないが、それら全てもここで練習できるというのは利点だ。しかしながら宮島はこの近くに住んでいた頃、ゴルフをやっていなかったので、徒歩10分ほどにもかかわらず当時全く来なかったのが残念でならないと語る。

柿ノ木坂陸橋

この地を出ると間もなく環状七号線と交差する。ここは地形的にも登りから下りの折り返し地点である。徒歩5分ほどで、東急東横線・都立大学駅に着く。今回の目黒通りは取り合えずここで終点としたい。それにしても、隣の学芸大学駅もそうだが、すでにこの地に存在しない大学が駅名になっているのは甚だ不思議である。学芸大学は1964年に小金井に、都立大学は1991年に八王子に移転している。
「私の知人で都立大学駅の近くに住んでいた人が、学生時代、そこから電車で一時間ほどかけて八王子の都立大学に通っており、友人から『都立大学に住んでて何やってんだ!』とつっこまれていたそうです」

都立大学駅

こうした被害(?)を避けるためにも、いずれ駅名改正が望まれるところだ。学芸大学はもともと碑文谷駅、都立大学駅はもともと柿の木坂駅という名前だったそうだから、いっそ戻してみるのはどうだろう。この名前の方が、駅名として味がある感じがしないでもない。
余計な、というかかなり重要な提案も抱えながら、いずれまた目黒通りの続きをレポートしたい!

目黒通り

(文・写真 宮島永太良)

 
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