TOPInterview : インタビュー

アートが気になるインタビュアーが宮島永太良を探る!

 

「宮島永太良研究」第23回 タイトル

=アートが気になるインタビュアー/A=宮島永太良

:これまで、宮島さんの作品を構成する要素「色」「形」「モチーフ」について、各々かなり長い期間を割いて語っていただきました。今回はその残された要素として、宮島永太良さんの作品の「タイトル」について伺おうと思います。ご自分の作品のタイトルは、やはりご自分で付けることが多いのでしょうか。
:はい、記憶の限り、これまで全て私自身です。私は作品タイトルに、わりとこだわる方だと思います。とは言うものの、時として自分のつけたタイトルを忘れてしまったりもします。これは歳のせいでなく生まれつき忘れやすいことから来たものですが。

:もしかしたら、こだわって付けた作品のタイトルは忘れないんではないですかね。
:そうだと思います。以前紹介した「水金地火木どってんFlower」などはいつまでも忘れないでしょう。逆に「展示でキャプションを付けなければならない」等といった理由でほとんど暫定的に付けたようなタイトルは、時期が経つと全く記憶から消えてしまうことも多いです。

:その場合はどうするのですか。
:また付け直すので、一つの作品に複数のタイトル歴が付くという現象が起きてしまします。こんなことをするのは自分だけかなと思っていたら、私が顔を出している横浜の「アートQ」に参加する某作家も、タイトルはその時によって違うことがあると話していました。


タイトル:「空の器」

タイトル:「空の器」

 

:意外にタイトルとは重要視されない場面もあるのですね。宮島さんは、たとえ忘れたものにせよ、タイトルを付ける時は何を重視していますか。
:まずタイトルということを考える前に、絵は言葉で説明できるかどうかを考えたいと思います。実は初期の頃、そう、初個展をやる前などは「無題」というのを割と使っていた気がします。

:「無題」ですか。
:よく名画の画集などを見ていると「無題」というのが時々あり、何となくかっこいい感じがしていました。それは今思うと、当時は「絵に説明などいらない」というような意見がもっともらしくあったので、なんとなく影響を受けていたのかもしれません。

:確かに、言葉で説明しなくても理解できる絵もありますね。でも逆もないでしょうか。
:あります。説明がないとわからないと感じる人が多いのも、またそういう作品が多いのも事実です。説明の必要、不必要はどちらも間違いではないと思います。一番説明が要りそうなのはやはり抽象絵画でしょう。しかし描いた人に説明してほしいといっても、具象画のような「ここが道で、その脇が畑になっていて」のような説明は無理だと思います。せいぜい「青い絵の具をこすったら上方に広がっていった」みたいな事しか言えないでしょう。この場合、必要なのは説明でなく「言葉による誘導」ではないかと思います。


タイトル:「業 − GO」

タイトル:「業 − GO」

 

:「誘導」ですか。
:私が以前出版した「妙な絵物語」もいわば「言葉による誘導」だと思います。各1つの絵に1つの詩を対応した形式ですが、これを読んだ人から「絵がわかりやすくなった」と言われたことがあります。私はその感想は純粋に嬉しいと思いました。絵に「説明はいらない」と同様によく一部に言われる意見で「解りやすい絵はダメだ」というのもあります。

:そんな意見もあるのですね。
:おそらくこれは「考えさせる絵ではないとダメ」と言うような意味合いがあるのでしょう。それはそれでまた別の考え方と思います。しかし「妙な絵物語」は逆で、わかりやすく誘導をしたのだと、結果的に思います。絵と詩の呼応なので、当然絵のタイトルも詩の内容を反映したものになっています。そうするとやはり詩の一節がタイトルとなる場合も多く、この頃から、やはり自分の絵にはタイトルがあった方が良いと確信するようになりました。どれも「無題」だと、どの作品かわかりにくい。そうなると番号を付けるしかありません。以前、色についても番号でなく色名があった方が親しみが持てる、ということをお話しましたが、それと同じことだったのでしょう。

:Aの1番、Bの2番などというより、「松」「竹」「梅」などと呼んだ方が、確かに親しみやすいし覚えやすいですよね。

  

 

  
Copyright © 2010- Eitaroh Miyajima. All Rights Reserved.